・・・…… Druerie の時期はもう望めないわとウィリアムは六尺一寸の身を挙げてどさと寝返りを打つ。間にあまる壁を切りて、高く穿てる細き窓から薄暗き曙光が漏れて、物の色の定かに見えぬ中に幻影の盾のみが闇に懸る大蜘蛛の眼の如く光る。「盾がある、・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・そこでぐるりと壁の方から寝返りをして窓の方を見てやった。窓の両側から申訳のために金巾だか麻だか得体の分らない窓掛が左右に開かれている。その後に「シャッター」が下りていて、その一枚一枚のすき間から御天道様が御光来である。ハハーいよいよ春めいて・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・安岡はガサガサと寝返りを三時間も打ち続けたあげく、眠りかけていた。が、まだ完全には眠ってしまわないで、夢の初めか、現の終わりかの幻を見ていると、フト彼の顔の辺りに何かを感じた。彼の鋭くとがった神経は針でも通されたように、彼を冷たい沼の水のよ・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
時は午後八時頃、体温は卅八度五分位、腹も背も臀も皆痛む、 アッ苦しいナ、痛いナ、アーアー人を馬鹿にして居るじゃないか、馬鹿、畜生、アッ痛、アッ痛、痛イ痛イ、寝返りしても痛いどころか、じっとして居ても痛いや。 アーアーいやにな・・・ 正岡子規 「煩悶」
・・・ 私は……確り眼と耳をつぶって寝返りを打った。「しかし」 いつか、また自問自答が始まった。「――もち論あれがシュロの葉の立てる音だということはわかってはいるが……しかし、万一、そう万万万ガ一、その吉さという男が、血迷って女房・・・ 宮本百合子 「田舎風なヒューモレスク」
・・・ お君は、思い出に一杯になった体を、溜息と一緒に寝返りを打たして、今までとは反対の壁側に顔を向けた。「母はんは、苦労ばかりお仕やはっても、いい智恵の浮ばんお人やし、達やかて、まだ年若やさかい、何の頼りにもならん。 たより・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・、自分が経験した病気に対する、あらゆる悲しさや恐ろしさが過敏になった心に渦巻きたって、もうどうしても死なねばならないときまってしまった様な厳な気持になったりして、いつとなし眠りに落ちるまで、もごもごと寝返りを打ちつづけて居た。 明る朝は・・・ 宮本百合子 「黒馬車」
・・・こう言って忠利は今まで長十郎と顔を見合わせていたのに、半分寝返りをするように脇を向いた。「どうぞそうおっしゃらずに」長十郎はまた忠利の足を戴いた。「いかんいかん」顔をそむけたままで言った。 列座の者の中から、「弱輩の身をもって推・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・下女がある晩、お休なさいと云って、隣の間へ引き下がってから、宮沢が寐られないでいると、壁を隔てて下女が溜息をしては寝返りをするのが聞える。暫く聞いていると、その溜息が段々大きくなって、苦痛のために呻吟するというような風になったそうだ。そこで・・・ 森鴎外 「独身」
・・・その声が思ったより高く一間の中に響き渡ると、返事をするようにどの隅からもうめきや、寝返りの音や、長椅子のぎいぎい鳴る音や、たわいもない囈語が聞える。 フィンクは暫くぼんやり立っていた。そしてこう思った。なるほどどこにもかしこにも、もう人・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
出典:青空文庫