・・・そうしてその後二十年あまりは、ほとんど寝食さえ忘れるくらい、私に尽してくれたのでした。「どう云う量見か、――それは私も今日までには、何度考えて見たかわかりません。が、事実は知れないまでも、一番もっともらしく思われる理由は、日錚和尚の説教・・・ 芥川竜之介 「捨児」
・・・一時にある事に自分の注意を集中した場合に、ほとんど寝食を忘れてしまう。国事にでもあるいは自分の仕事にでも熱中すると、人と話をしていながら、相手の言うことが聞き取れないほど他を顧みないので、狂人のような状態に陥ったことは、私の知っているだけで・・・ 有島武郎 「私の父と母」
・・・人によっては寝食の時間など大変規則正しい人もあるかも知れないが、原則から云えば楽に自由な骨休めをしたいと願いまたできるだけその呑気主義を実行するのが一般の習慣であります。すると彼らには明かに背馳した両面の生活がある事になる。業務についた自分・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・けだしこの人々いずれも英邁卓絶の士なれば、ひたすら自レ我作レ古の業にのみ心をゆだね、日夜研精し寝食を忘るるにいたれり。あるいは伝う、蘭化翁、長崎に往きて和蘭語七百余言を学び得たりと。これによって古人、力を用ゆるの切なると、その学の難きとを察・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾の記」
・・・ 実際彼女は疲れ切って居たのです。 けれ共彼女の身動きもしない様に落着いて居る傍には漸々病の攻めから幾分ずつ逃れられて来た希望に満ちた美くしい子が安らかな眠りに落ちて居ます。 寝食を忘れて愛子を取り守って居る母親は喜ばしい安心に・・・ 宮本百合子 「二月七日」
・・・これまでも我々は只お前と寝食を共にすると云うだけで、給料と云うものも遣らず、名のみ家来にしていたのに、お前は好く辛抱して勤めてくれた。しかしもう日本全国をあらかた遍歴して見たが、敵はなかなか見附からない。この按排では我々が本意を遂げるのは、・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫