・・・殊に「御言葉の御聖徳により、ぱんと酒の色形は変らずといえども、その正体はおん主の御血肉となり変る」尊いさがらめんとを信じている。おぎんの心は両親のように、熱風に吹かれた沙漠ではない。素朴な野薔薇の花を交えた、実りの豊かな麦畠である。おぎんは・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・いや、そう云う宝よりも尊い、霊妙な文字さえ持って来たのです。が、支那はそのために、我々を征服出来たでしょうか? たとえば文字を御覧なさい。文字は我々を征服する代りに、我々のために征服されました。私が昔知っていた土人に、柿の本の人麻呂と云う詩・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・クララの心は酔いしれて、フランシスの眼を通してその尊い魂を拝もうとした。やがてクララの眼に涙が溢れるほどたまったと思うと、ほろほろと頬を伝って流れはじめた。彼女はそれでも真向にフランシスを見守る事をやめなかった。こうしてまたいくらかの時が過・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・その熱い涙はお前たちだけの尊い所有物だ。それは今は乾いてしまった。大空をわたる雲の一片となっているか、谷河の水の一滴となっているか、太洋の泡の一つとなっているか、又は思いがけない人の涙堂に貯えられているか、それは知らない。然しその熱い涙はと・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・詩がその時代の言語を採用したということも、その尊い実行の一部であったと私は見る。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ むろん、用語の問題は詩の革命の全体ではない。 そんなら将来の詩はどういうものでなければならぬか。現在の諸・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・ 髯ある者、腕車を走らす者、外套を着たものなどを、同一世に住むとは思わず、同胞であることなどは忘れてしまって、憂きことを、憂しと識別することさえ出来ぬまで心身ともに疲れ果てたその家この家に、かくまでに尊い音楽はないのである。「衆生既信伏・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ 俗に銀線に触るるなどと言うのは、こうした心持かも知れない。尊い文字は、掌に一字ずつ幽に響いた。私は一拝した。「清衡朝臣の奉供、一切経のうちであります――時価で申しますとな、唯この一巻でも一万円以上であります。」 橘南谿の東遊記・・・ 泉鏡花 「七宝の柱」
・・・神々しい松杉の古樹、森高く立ちこめて、堂塔を掩うて尊い。 桑を摘んでか茶を摘んでか、笊を抱えた男女三、四人、一隅の森から現われて済福寺の前へ降りてくる。 お千代は北の幸谷なる里方へ帰り、省作とおとよは湖畔の一旅亭に投宿したのである。・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・ようだね、身勝手な了簡より外ない奴は大き面をしていても、真に自分を慕って敬してくれる人を持てるものは恐らく少なかろう、自分の都合許り考えてる人間は、学問があっても才智があっても財産があっても、あんまり尊いものではない。・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・そういう意味で学術的に貴いものなら何でも集めて置く、」と書棚の中から気象学会や地震学会の報告書を出して見せた。こういうものまでも一と通りは眼を通さなければ気が済まなかったらしい。が、権威的の学術書なら別段不思議はないが、或る時俗謡か何かの咄・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
出典:青空文庫