・・・道傍の氷店に入ってラムネ一瓶に夜来の渇望も満たしたればこゝに小荷物を預けて楠公祠まで行きたり。亀の遊ぶのを見たりとて面白くもなし湊川へ行て見んとて堤を上る。昼なれば白面の魎魅も影をかくして軒を並ぶる小亭閑として人の気あるは稀なり。並木の影涼・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・ 改札口でなしに、小荷物口の方に向って、三四十人の人の群が、口々に喚き、罵り、殴り、髪の毛を引っ掴みながら、揺ぎ出した岩のようにノロノロと動いて行った。 その中に、が小荷物受渡台の上に彼自身でさえ驚くような敏捷さで、飛び上った。そし・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・それによって、幾年かの婚約を先ず予備するもの、或は、双方の重要な条件が相容れないためもう最後の一歩と云う点で失望に終るもの等、一方、軽々しく、まるで小荷物の郵送でもするような結婚があると思えば、他方には、苦しい、深刻な場面が展開されているの・・・ 宮本百合子 「男女交際より家庭生活へ」
・・・また豊野の停車場にては、小荷物預けんといいしに、聞届けがたしと、官員がほしていいしを、痛く責めしに、後には何事をいいても、いらえせずなりぬ。これとはうらうえなるは、松井田にて西洋人の乗りしとき、車丁の荷物を持ちはこびたると、松井田より本庄ま・・・ 森鴎外 「みちの記」
出典:青空文庫