・・・という大都会を静かに流れているだけに、その濁って、皺をよせて、気むずかしいユダヤの老爺のように、ぶつぶつ口小言を言う水の色が、いかにも落ついた、人なつかしい、手ざわりのいい感じを持っている。そうして、同じく市の中を流れるにしても、なお「海」・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・それでもあの通り気が違う所か、御用の暇には私へ小言ばかり申して居るじゃございませんか。」 老女は紅茶の盆を擡げながら、子供を慰めるようにこう云った。それを聞くと房子の頬には、始めて微笑らしい影がさした。「それこそ御隣の坊ちゃんが、お・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・監督が小言を言われながら幾度も説明しなおさなければならなかった。彼もできるだけ穏やかにその説明を手伝った。そうすると父の機嫌は見る見る険悪になった。「そんなことはお前に言われんでもわかっている。俺しの聞くのはそんなことじゃない。理屈を聞・・・ 有島武郎 「親子」
・・・いらいらした気分はよく髪の結い方、衣服の着せ方に小言をいわせた。さんざん小言をいってから独りになると何んともいえない淋しさに襲われて、部屋の隅でただ一人半日も泣いていた記憶も甦った。クララはそんな時には大好きな母の顔さえ見る事を嫌った。まし・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・ つけつけと小言を言わるれば口答えをするものの、省作も母の苦心を知らないほど愚かではない。省作が気ままをすれば、それだけ母は家のものたちの手前をかねて心配するのである。慈愛のこもった母の小言には、省作もずるをきめていられない。「仕事・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・ などと頻りに小言を云うけれど、その実母も民子をば非常に可愛がって居るのだから、一向に小言がきかない。私にも少し手習をさして……などと時々民子はだだをいう。そういう時の母の小言もきまっている。「お前は手習よか裁縫です。着物が満足に縫・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ 妻のところへ帰ると、僕のつく息が夕方よりも一層酒くさいため、また新らしい小言を聴かされたが、僕があやまりを言って、無事に済んだ。――しかし、妻のからだは、その夜、半ば死人のように固く冷たいような気がした。 二〇・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・シカモ鰍の味噌煮というような下宿屋料理を小言云い云い奇麗に平らげた。が、率ざ何処かへ何か食べに行こうとなるとなかなか厳ましい事をいった。三日に揚げずに来るのに毎次でも下宿の不味いものでもあるまいと、何処かへ食べに行かないかと誘うと、鳥は浜町・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
次郎さんはかばんを下げて、時計を見上げながら、「おお、もうおそくなった。はやく、そういってくれればいいのに、なあ。」と、お母さんや女中に小言をいいました。「毎朝、ゆけと注意されなくても、自分で気をつけるものですよ。」と、お母さ・・・ 小川未明 「気にいらない鉛筆」
・・・ しばらくすると、妙な男は、小言をいい出した。「電信柱さん、あんまりおまえは丈が高すぎる。これでは話しづらくて困るじゃないか。なんとか、もすこし丈の低くなる工夫はないかね。」といった。 電信柱は、しきりに頭をかしげていたが、・・・ 小川未明 「電信柱と妙な男」
出典:青空文庫