・・・革命運動などのような、もっとも熱烈な信念と意気と大胆と精力とを要するの事業は、ことに少壮の士に待たねばならぬ。古来の革命は、つねに青年の手によってなされたのである。維新の革命に参加してもっとも力のあった人びとは、当時みな二十代から三十代であ・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・である、文学・芸術の如きに至っても、不朽の傑作たる者は其作家が老熟の後よりも却って未だ大に名を成さざる時代の作に多いのである、革命運動の如き、最も熱烈なる信念と意気と大胆と精力とを要するの事業は、殊に少壮の士に待たねばならぬ、古来の革命は常・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・子安が着いて見ると案外心易い、少壮な学者だ。 こうなると教員室も大分賑かに成った。桜井先生はまだ壮年の輝きを失わない眼付で、大きな火鉢を前に控えて、盛んに話す。正木大尉は正木大尉で強い香のする刻煙草を巻きながら、よく「軍隊に居た時分」を・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ しかしわが貧乏国日本の忠実な少壮学者は貧乏な大学の研究所のために電池のわずかな費用を節約しつつ、たくあんをかじり、渋茶に咽喉を潤してそうして日本学界の名誉のために、また人間の知恵のために骨折り働いているのである。 ろうそくをはい上・・・ 寺田寅彦 「小浅間」
・・・この言葉の中には欧米学界の優越に対する正当なる認識と尊敬を含むと同時に、我国における独創的の研究の鼓吹、小成に安んぜんとする恐れのある少壮学者への警告を含んでいたのである。「どうも日本人はだめだ」と口癖のように言っていた、その言葉の裏にもや・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・量には多大の費用がかかるのであるが、それは幸いに帝国学士院や、原田積善会、服部報公会等の財団または若干篤志家の有力な援助によって支弁され、そのおかげで次第に観測資料が蓄積され、その結果はわが国の有為な少壮学者らの手によって逐次に分析的に研究・・・ 寺田寅彦 「地図をながめて」
・・・ 地理学のほうでは人口の分布や農耕範囲の問題などについて、興味ある物理学的統計学的研究をしている少壮学者もある。これはわれわれには非常におもしろく有益な試みであると思われるが、これも「人間のことに物理的方法に適用しない」という通有の誤解・・・ 寺田寅彦 「物質群として見た動物群」
・・・僕等は曾て少壮の比ツルゲネフやフロオベル等の文学観をよろこび迎えたものである。歴史及び伝説中の偉大なる人物に対する敬虔の心を転じて之を匹夫匹婦が陋巷の生活に傾注することを好んだ。印象派の画家が好んで描いた題材を採って之を文章となす事を畢生の・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・何々の商売に何百万の産をなしたりという、その人の身は、必ず学校より出でたる者にして、少小教育の所得を、成年の後、殖産の実地に施し、もって一身一家の富をいたしたる者にして、世に名声も香しきことなれども、少壮の時より政府の官につき、月給を蓄積し・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・けだし支那流にいう磊落とはいかなる意味か、その吟味はしばらく擱き、今日の処にては、磊落と不品行と、字を異にして義を同じうし、磊々落々は政治家の徳義なりとて、長老その例を示して少壮これに傚い、遂に政治社会一般の風を成し、不品行は人の体面を汚す・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
出典:青空文庫