・・・奈良に住むと、小説が書けなくなるというのも、造型美術品から受ける何ともいいようのない単純な感動が、小説の筆を屈服させてしまうからであろう。だから、人間の可能性を描くというような努力をむなしいものと思い、小説形式の可能性を追究して、あくまで不・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・それに屈服する。それが行一にはもう取返しのつかぬことに思えた。「バッタバッタバッタ」鼓翼の風を感じる。「コケコッコウ」 遠くに競争者が現われる。こちらはいかにも疲れている。あちらの方がピッチが出ている。「……」とうとう止してしま・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・日に十里を楽々と走破しうる健脚を有し、獅子をも斃す白光鋭利の牙を持ちながら、懶惰無頼の腐りはてたいやしい根性をはばからず発揮し、一片の矜持なく、てもなく人間界に屈服し、隷属し、同族互いに敵視して、顔つきあわせると吠えあい、噛みあい、もって人・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・民族的反感からは信用したくない人でも、論理の前には屈伏しなければならない事を知っているから。」こう云ったニーチェのにがにがしい言葉が今更に強く吾々の耳に響くように思われる。 彼の学校成績はあまりよくなかった。特に言語などを機械的に暗記す・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・日本画には到底科学などのために動揺させられない、却ってあるいは科学を屈服させるだけの堅固な地盤があると思う。何故かと云えば日本画の成立ち組立て方において非常に科学的でそしてむしろ科学以上なところがあるからである。 師匠の真似ばかりしてい・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・生きると答えると降参した意味で、死ぬと云うと屈服しないと云う事になる。自分は一言死ぬと答えた。大将は草の上に突いていた弓を向うへ抛げて、腰に釣るした棒のような剣をするりと抜きかけた。それへ風に靡いた篝火が横から吹きつけた。自分は右の手を楓の・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・これは漱石が一言の争もせず冥々の裡にこの御転婆を屈伏せしめたのである。――そんな得意談はどうでも善いとして、この国の女ことに婆さんとくると、いわゆる老婆親切と云う訳かも知れんが、自分の使う英語に頼みもせぬ註解を加えたり、この字は分りますかな・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・、共に苦楽を与にするの契約は、生命を賭して背く可らずと雖も、元来両者の身の有様を言えば、家事経営に内外の別こそあれ、相互に尊卑の階級あるに非ざれば、一切万事対等の心得を以て自から屈す可らず、又他をして屈伏せしむ可らず。即ち結婚の契約より生じ・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・三年前には、文学における政治の優位性という問題が、政治への嫌悪、権力への屈服の反撥と混同され、その基本的な理解において、論議の種でした。一年一年が経つごとに社会と政治の現実は、人間性と文化の擁護のためにはファシズムと闘わなければならないとい・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・このときに到っても、やはり葉子の中にあって彼女を一層混乱させ、非条理に陥らせている封建的な道徳感への屈伏を作者は抉り出すことに成功してはいないのである。 葉子の恋愛の描写の中に感銘を与えられることがもう一つある。それは作者が、恋愛という・・・ 宮本百合子 「「或る女」についてのノート」
出典:青空文庫