・・・御指南番山本小左衛門殿の道場に納会の試合がございました。その節わたくしは小左衛門殿の代りに行司の役を勤めました。もっとも目録以下のものの勝負だけを見届けたのでございまする。数馬の試合を致した時にも、行司はやはりわたくしでございました。」・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・社主の山本氏さえ知らない。 すると偉大なる神秘主義者はスウエデンボルグだのベエメだのではない。実は我々文明の民である。同時に又我々の信念も三越の飾り窓と選ぶところはない。我々の信念を支配するものは常に捉え難い流行である。或は神意に似た好・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・「それが、さ、君忘れもせぬ明治三十七年八月の二十日、僕等は鳳凰山下を出発し、旅順要塞背面攻撃の一隊として、盤龍山、東鷄冠山の中間にあるピー砲台攻撃に向た。二十日の夜行軍、翌二十一日の朝、敵陣に近い或地点に達したのやけど、危うて前進が出来・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・埋没すべけん 夜々精光斗牛を射る 雛衣満袖啼痕血痕に和す 冥途敢て忘れん阿郎の恩を 宝刀を掣将つて非命を嗟す 霊珠を弾了して宿冤を報ず 幾幅の羅裙都て蝶に化す 一牀繍被籠鴛を尚ふ 庚申山下無情の土 佳人未死の魂を埋却す ・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・十 二葉亭の風人品 誰やらが二葉亭を評して山本権兵衛を小説家にしたような男だといった。海軍問題以来山本伯の相場は大分下落し、漸く復活して頭を擡上げ掛けると、忽ち復た地震のためにピシャンコとなってしまったから、文壇の山本伯とい・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・名刺には、東京の住所と文学博士山本誠という名が書いてありました。「私は、古代民族の歴史を研究しているので、こうして、方々を歩いています。」といいました。 信吉は、自分の持っているものが、いつか学問のうえに役立てば、ひとりこの人のみの・・・ 小川未明 「銀河の下の町」
・・・それを、こういうのも、じつは、昔、私の教えた子で、山本という感心な少年があった。父親は、怠け者で、その子の教育ができないために、行商にきた人にくれたのが、いま一人前の男となって、都会で相当な店を出している。このあいだから、だれか信用のおける・・・ 小川未明 「空晴れて」
・・・と車夫は提灯の火影に私の風体を見て、「木賃ならついそこにあるが……私が今曲ってきたあの横町をね、曲ってちょっと行くと、山本屋てえのと三州屋てえのと二軒あるよ。こっちから行くと先のが山本屋で、山本屋の方が客種がいいって話だから、そっちへお行で・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・たあげく、大写しの中で死んで行く主演俳優の死の姿よりも、大部屋連中が扮した、まるで大根でも斬るように斬られて、ころりと転がってしまう目明しの黙々とした死の姿の方にむしろ死のリアリティを感ずるのである。山下奉文の死は、新聞で見ると何だかあっけ・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・ 高等学校は三高、山本修二先生、伊吹武彦先生など劇に関係のある先生がいて、一緒に脚本朗読会をやって変な声をだしていた。そういう関係から劇に志したのには無論違いないだろうけれど、しかし、中学校の三年生の時の作文に、股旅物の戯曲を書いて叱ら・・・ 織田作之助 「わが文学修業」
出典:青空文庫