・・・卿は熱帯の鬱林に放たれずして、山地の碧潭に謫されたのである。……トこの奇異なる珍客を迎うるか、不可思議の獲ものに競うか、静なる池の面に、眠れる魚のごとく縦横に横わった、樹の枝々の影は、尾鰭を跳ねて、幾千ともなく、一時に皆揺動いた。 これ・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・風もなく、日は、山地に照り付けて何処からともなく蝉の声が聞えて来る。夏蜜柑の皮を剥きながら、此の草葺小屋の内を見廻した。年増の女が、たゞ独り、彼方で後向になって針仕事をしていた。そばを食べると昔の歌をうたって聞かせるという話だが、何も歌わな・・・ 小川未明 「舞子より須磨へ」
・・・さればとて故郷の平蕪の村落に病躯を持帰るのも厭わしかったと見えて、野州上州の山地や温泉地に一日二日あるいは三日五日と、それこそ白雲の風に漂い、秋葉の空に飄るが如くに、ぶらりぶらりとした身の中に、もだもだする心を抱きながら、毛繻子の大洋傘に色・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・この子は十八の歳に中学を辞して、私の郷里の山地のほうで農業の見習いを始めていた。これは私の勧めによることだが、太郎もすっかりその気になって、長いしたくに取りかかった。ラケットを鍬に代えてからの太郎は、学校時代よりもずっと元気づいて来て、翌年・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・あの恵那山の見える山地のほうから、次郎はかなり土くさい画を提げて出て来た。この次郎は、上京したついでに、今しばらく私たちと一緒にいて、春の展覧会を訪ねたり、旧い友だちを見に行ったりして、田舎の方で新鮮にして来た自分を都会の濃い刺激に試みよう・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・牧羊者の祖先が山地の住民であったためか、それとも羊を追い回しおおかみでも追い払うために使われたものか、ともかくもいわゆるステッキとはだいぶちがったものである。それから雲助の息杖というものがある、あれの使用法などは研究してみたらだいぶおもしろ・・・ 寺田寅彦 「ステッキ」
・・・勿論土佐の日下は山地である、人名等より来たであろうが、もとは渡しかもしれぬ、崇神紀に「クスハノワタシ」というのがある。十市 「トンチ」穴。また「トツエ」は沼の潰れし処。またチャム「ト」は中央「テ」は場所。十市の地名は記紀にもある。穴・・・ 寺田寅彦 「土佐の地名」
・・・たとえば信州の山地にある若干の植物は満州朝鮮と共通であって、しかも本州の他のいずれの地にも見られないといったような事実があるそうである。それからまた、日本では夢にも見つかろうとは思われなかった珍奇な植物「ヤッコソウ」のようなものが近ごろにな・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・庭つづきになった後方の丘陵は、一面の蜜柑畠で、その先の山地に茂った松林や、竹藪の中には、終日鶯と頬白とが囀っていた。初め一月ばかりの間は、一日に二、三時間しか散歩することを許されていなかったので、わたくしはあまり町の方へは行かず、大抵この岡・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・北上山地の上のへりが時々かすかに見える。さあいよいよぼくらも岩手県をはなれるのだ。うちではみんなもう寝ただろう。祖母さんはぼくにお守りを借してくれた。さよなら、北上山地、北上川、岩手県の夜の風、今武田先生が廻ってみんなの席の工合や何・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
出典:青空文庫