・・・ ずっと川上へ行くと、そこらは濁らぬ。山奥の方は明い月だ。真蒼な激い流が、白く颯と分れると、大な蛇が迎いに来た、でないと船が、もうその上は小蛇の力で動かんでな。底を背負って、一廻りまわって、船首へ、鎌首を擡げて泳ぐ、竜頭の船と言うだとよ・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・ この二股坂と言うのは、山奥で、可怪い伝説が少くない。それを越すと隣国への近路ながら、人界との境を隔つ、自然のお関所のように土地の人は思うのである。 この辺からは、峰の松に遮られるから、その姿は見えぬ。最っと乾の位置で、町端の方へ退・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・時々山奥から猿が出て来るという処だから、その数の多いにはぎょっとしたが――別に猿というに驚くこともなし、また猿の面の赤いのに不思議はないがな、源助。 どれもこれも、どうだ、その総身の毛が真赤だろう。 しかも数が、そこへ来た五六十疋と・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・何でも、この山奥に大沼というのがある?……ありますか、お爺さん。」「あるだ。」 その時、この気軽そうな爺さんが、重たく点頭した。「……阿武隈川が近いによって、阿武沼と、勿体つけるで、国々で名高い、湖や、潟ほど、大いなものではねえ・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・しかれども三三に、…………曾て茸を採りに入りし者、白望の山奥にて金の桶と金の杓とを見たり、持ち帰らんとするに極めて重く、鎌にて片端を削り取らんとしたれどそれもかなわず、また来んと思いて樹の皮を白くし栞としたりしが、次の日人々と共に行・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・こんな山奥の、おはなしばかり、お土産に。――この実を入れて搗きますのです、あの、餅よりこれを、お土産に。」と、めりんすの帯の合せ目から、ことりと拾って、白い掌で、こなたに渡した。 小さな鶏卵の、軽く角を取って扁めて、薄漆を掛けたような、・・・ 泉鏡花 「栃の実」
・・・「その居士が、いや、もし……と、莞爾々々と声を掛けて、……あれは珍らしい、その訳じゃ、茅野と申して、ここから宇佐美の方へ三里も山奥の谷間の村が竹の名所でありましてな、そこの講中が大自慢で、毎年々々、南無大師遍照金剛でかつぎ出して寄進しま・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・ここから十三里ばかり西の山奥に、それはいい湯があります。谷は湯の河原になっています。二週間もいってきなされば、おまえさんのその体は、生まれ変わったようにじょうぶになることは請け合いです。」「それはほんとうですか?」と、少年は、生まれ変わ・・・ 小川未明 「石をのせた車」
ねえやの田舎は、山奥のさびしい村です。町がなかなか遠いので、子供たちは本屋へいって雑誌を見るということも、めったにありません。三郎さんは、自分の見た雑誌をねえやの弟さんに、送ってやりました。「坊ちゃん、ありがとうございます。弟は、・・・ 小川未明 「おかめどんぐり」
・・・しかし、それらは、いま険阻な山奥に残っていて、捕らえられたくまのことを思い出しているかもしれませんが、そのくまの故郷は、だんだん遠くなってしまったのです。このくまも、やはり毎日駆けまわった山や、谷や、河のことを思い出しているのかもしれません・・・ 小川未明 「汽車の中のくまと鶏」
出典:青空文庫