・・・雪はこの地に稀なり、その日の寒さ推して知らる。山村水廓の民、河より海より小舟泛かべて城下に用を便ずるが佐伯近在の習慣なれば番匠川の河岸にはいつも渡船集いて乗るもの下りるもの、浦人は歌い山人はののしり、いと賑々しけれど今日は淋びしく、河面には・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・で、鉄道や汽船の勢力が如何なる海陬山村にも文明の威光を伝える為に、旅客は何の苦なしに懐手で家を飛出して、そして鼻歌で帰って来られるようになりました。其の代りに、つい二三十年前のような詩的の旅行は自然と無くなったと申して宜しい、イヤ仕様といっ・・・ 幸田露伴 「旅行の今昔」
・・・いえども五右衛門四天を着けたりといえども猿か友市生れた時は同じ乳呑児なり太閤たると大盗たると聾が聞かば音は異るまじきも変るは塵の世の虫けらどもが栄枯窮達一度が末代とは阿房陀羅経もまたこれを説けりお噺は山村俊雄と申すふところ育ち団十菊五を島原・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・この画家は欧羅巴を漫遊して帰ると間もなく眺望の好い故郷の山村に画室を建てたが、引込んで研究ばかりしていられないと言っては、やって来た。 高瀬はこの人が来ると、百姓画家のミレエのことをよく持出した。そして泉から仏蘭西の田舎の話を聞くのを楽・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・タッチイは顔がひろくて、山村、カツ西、豊野を加え、カジョーもまた努力してくれて、伊牟田氏を入れてくれました。カジョーとは段々仲が良くなり、ぼくの臭さも彼、許してくれてきましたようです。『春服』創刊から二号にかけて、ぼくは昨年暮から今年の三月・・・ 太宰治 「虚構の春」
伊豆の南、温泉が湧き出ているというだけで、他には何一つとるところの無い、つまらぬ山村である。戸数三十という感じである。こんなところは、宿泊料も安いであろうという、理由だけで、私はその索寞たる山村を選んだ。昭和十五年、七月三・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・「でもな、おまえも二十四だ。山村の常雄さんだって、兵隊からもどると、すぐ嫁さんもろうた。太田の初つぁんなんか、もう二人も子がでけとる。――」 母親は、三吉と小学校で同級だった町の青年たちの名をあげて、くりごとをはじめる。早婚な地方の・・・ 徳永直 「白い道」
・・・ 試に今日女子の教育を視よ、都鄙一般に流行して、その流行の極、しきりに新奇を好み、山村水落に女子英語学校ありて、生徒の数、常に幾十人ありなどいえるは毎度伝聞するところにして、世の愚人はこれをもって教育の隆盛を卜することならんといえども、・・・ 福沢諭吉 「文明教育論」
・・・あるいは田舎の風光、山村の景色等自己の実見せしものを捉え来たりて、支那的空想に耽りたる絵画界に一生面を開かんと企てたり。あるいは時間を写さんとし、あるいは一種の色彩を施さんとして苦心したり。絵画における彼の眼光はきわめて高く、到底応挙、呉春・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
私は昨年九月四日、ニュウファウンドランド島の小さな山村、ヒルテイで行われた、ビジテリアン大祭に、日本の信者一同を代表して列席して参りました。 全体、私たちビジテリアンというのは、ご存知の方も多いでしょうが、実は動物質の・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
出典:青空文庫