・・・それを露柴はずっと前から、家業はほとんど人任せにしたなり、自分は山谷の露路の奥に、句と書と篆刻とを楽しんでいた。だから露柴には我々にない、どこかいなせな風格があった。下町気質よりは伝法な、山の手には勿論縁の遠い、――云わば河岸の鮪の鮨と、一・・・ 芥川竜之介 「魚河岸」
・・・ むかし、むかし、大むかし、この木は山谷を掩った枝に、累々と実を綴ったまま、静かに日の光りに浴していた。一万年に一度結んだ実は一千年の間は地へ落ちない。しかしある寂しい朝、運命は一羽の八咫鴉になり、さっとその枝へおろして来た。と思うとも・・・ 芥川竜之介 「桃太郎」
・・・が、涸れて、寂しく、雲も星も宿らないで、一面に散込んだ柳の葉に、山谷の落葉を誘って、塚を築いたように見える。とすれば月が覗く。……覗くと、光がちらちらとさすので、水があるのを知って、影が光る、柳も化粧をするのである。分けて今年は暖さに枝垂れ・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・出て行きしな、自分の力で養えるようになったらきっと母を連れに来ますと、集金人の山谷に後のことを頼んだ。かねがね山谷はお君に同情めいた態度を見せ、度を過ぎていると豹一は苦々しかったが、さすがに今はくれぐれも頼みますと頭を下げた。便所でボロボロ・・・ 織田作之助 「雨」
・・・ かるが故に、月光をして汝の逍遙を照らしめよ、霧深き山谷の風をしてほしいままに汝を吹かしめよ。汝今日の狂喜は他日汝の裏に熟して荘重深沈なる歓と化し汝の心はまさにしき千象の宮、静かなる万籟の殿たるべし。 ああ果たしてしからんか、あるい・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・この窟地理の書によるに昇降およそ二町半ばかり、一度は禅定すること廃れしが、元禄年中三谷助太夫というものの探り試みしより以来また行わるるに至りしという。窟のありさまを考うるに、あるいは闊くなりあるいは狭くなり、あるいは上りあるいは下り、極めて・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・ 三谷の渓間へ虎杖取りに行ったこともあった。薄暗い湿っぽい朽葉の匂のする茂みの奥に大きな虎杖を見付けて折取るときの喜びは都会の児等の夢にも知らない、田園の自然児にのみ許された幸福であろう。これは決して単なる食慾の問題ではない。純な子供の・・・ 寺田寅彦 「郷土的味覚」
・・・ これと同じようなことが、山の頂きと谷との間にあって山谷風と名づけられています。これがもういっそう大仕掛けになって、たとえばアジア大陸と太平洋との間に起こるとそれがいわゆる季節風で、われわれが冬期に受ける北西の風と、夏期の南がかった風に・・・ 寺田寅彦 「茶わんの湯」
・・・今戸の渡と云う名ばかりは流石に床し。山谷堀に上がれば雨はら/\と降り来るも場所柄なれば面白き心地もせらる。さりとて傘持たぬ一同、たとえ張子ならずとも風邪など引いては面白からねば大急ぎにて雷門前まで駈け付く。先を争いて馬車に乗らんとあせる人狂・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
・・・それ故大正改元のころには、山谷の八百善、吉原の兼子、下谷の伊予紋、星ヶ岡の茶寮などいう会席茶屋では食後に果物を出すようなことはなかったが、いつともなく古式を棄てるようになった。 わたくしの若い時分、明治三十年頃にはわれわれはまだ林檎もバ・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
出典:青空文庫