昭和二年の冬、酉の市へ行った時、山谷堀は既に埋められ、日本堤は丁度取崩しの工事中であった。堤から下りて大音寺前の方へ行く曲輪外の道もまた取広げられていたが、一面に石塊が敷いてあって歩くことができなかった。吉原を通りぬけて鷲神社の境内に・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・何故かというと、この渡場は今戸橋の下を流れる山谷堀の川口に近く、岸に上るとすぐ目の前に待乳山の堂宇と樹木が聳えていた故である。しかしこの堂宇は改築されて今では風致に乏しいものとなり、崖の周囲に茂っていた老樹もなくなり、岡の上に立っていた戸田・・・ 永井荷風 「水のながれ」
・・・と唱われていたほどであったのが、嘉永三年の頃には既に閉店し、対岸山谷堀の入口なる川口屋お直の店のみなお昔日に変らず繁昌していたことが知られる。 川口屋の女主お直というは吉原の芸妓であったが、酒楼川口屋を開いて後天保七年に隅田堤に楓樹を植・・・ 永井荷風 「向嶋」
霧がじめじめ降っていた。 諒安は、その霧の底をひとり、険しい山谷の、刻みを渉って行きました。 沓の底を半分踏み抜いてしまいながらそのいちばん高い処からいちばん暗い深いところへまたその谷の底から霧に吸いこまれた次の峯・・・ 宮沢賢治 「マグノリアの木」
・・・青柳喜美子、「夕」三谷十糸子、「娘たち」森田沙夷などは、それぞれに愛すべき生活のディテールをとらえて、画に生活の感情をふき込もうとしているに対して煩悶のない有馬氏の「後庭」はじめ「温室」「レモンと花」「静物」等、殆どすべてがアトリエ中心であ・・・ 宮本百合子 「帝展を観ての感想」
出典:青空文庫