・・・これは「修理病気に付、禁足申付候様にと屹度、板倉佐渡守兼ねて申渡置候処、自身の計らいにて登城させ候故、かかる凶事出来、七千石断絶に及び候段、言語道断の不届者」という罪状である。 板倉周防守、同式部、同佐渡守、酒井左衛門尉、松平右近将監等・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・誰かが気がついて見たら、顔も屹度青かったかも知れません。僕はジムの絵具がほしくってほしくってたまらなくなってしまったのです。胸が痛むほどほしくなってしまったのです。ジムは僕の胸の中で考えていることを知っているにちがいないと思って、そっとその・・・ 有島武郎 「一房の葡萄」
・・・そこには屹度小さな小屋があって、誰でも五六銭を手にしてゆくと、二三人では喰い切れない程の林檎を、枝からもぎって籃に入れて持って来て喰べさせてくれた。白い粉の吹いたまゝな皮を衣物で押し拭って、丸かじりにしたその味は忘れられない。春になってそれ・・・ 有島武郎 「北海道に就いての印象」
・・・ この男のこの大きな吸筒、これには屹度水がある! けれど、取りに行かなきゃならぬ。さぞ痛む事たろうな。えい、如何するもんかい、やッつけろ! と、這出す。脚を引摺りながら力の脱けた手で動かぬ体を動かして行く。死骸はわずか一間と隔てぬ所に在・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・「……で甚だ恐縮な訳ですが、妻も留守のことで、それも三四日中には屹度帰ることになって居るのですから、どうかこの十五日まで御猶予願いたいものですが、……」「出来ませんな、断じて出来るこっちゃありません!」 斯う呶鳴るように云った三・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・富岡老人釣竿を投出してぬッくと起上がった。屹度三人の方を白眼で「大馬鹿者!」と大声に一喝した。この物凄い声が川面に鳴り響いた。 対岸の三人は喫驚したらしく、それと又気がついたかして忽ち声を潜め大急ぎで通り過ぎて了った。 富岡老人はそ・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・其頃は門などはもうなく、石垣の間からトカゲがその体を日に光らせて居た。濠の土手に淡竹の藪があって、筍が沢山出た。僕等は袋を母親に拵えて貰って、よく出懸けて行っては、それを取って来たものだ。其頃は屹度空が深い碧で、沼には蘆の新芽が風に吹かれて・・・ 田山花袋 「新茶のかおり」
・・・そうかといって太十はなかなか義理が堅いので何事かあると屹度兄の家へ駈けつける。然し彼は何事に就いても少しの意見もなければ自ら差し出てどうということもない。気に入らぬことがあれば独でぶつぶつと怒って居る。そうした時は屹度上脣の右の方がびくびく・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・途端に其処に通掛った近衛の将校の方があったのです――凛々しい顔をなすった戦争に強そうな方でしたがねえ、其将校の何処が気に入らなかったのか、其可怖眼をした女の方が、下墨む様な笑みを浮べて、屹度お見でしたの。『彼人達は死ぬのが可いのよ。死ぬ・・・ 広津柳浪 「昇降場」
出典:青空文庫