・・・散り敷く落葉を踏み砕き、踏み響かせて馳せ廻るのが、却て愉快であった。然し、植木屋の安が、例年の通り、家の定紋を染出した印半纒をきて、職人と二人、松と芭蕉の霜よけをしにとやって来た頃から、間もなく初霜が午過ぎから解け出して、庭へはもう、一足も・・・ 永井荷風 「狐」
・・・葛餅を獲たる蟻はこの響きに度を失して菓子椀の中を右左りへ馳け廻る。「蟻の夢が醒めました」と女は夢を語る人に向って云う。「蟻の夢は葛餅か」と相手は高からぬほどに笑う。「抜け出ぬか、抜け出ぬか」としきりに菓子器を叩くは丸い男である。・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・ すると車が早く廻る。ただそれ丈けであった。車から下りて、よく車の組立を見たり「何のために車を廻すか?」を考える暇がなかった。 秋山も小林も極く穏かな人間であった。秋山は子供を六人拵えて、小林は三人拵えて、秋山は稍ずるく、小林は掘り出し・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・夢のような何とも知れぬ苦痛の感じが、車の輪の廻るように、頭の中に動いていた。あの何とも言えぬ心持は、この世界の深い深い秘密と関係している人の母の心であろう。しかしもうわたしにはあの甘い苦を持っている、ここの空気を吸う事は出来ぬ。わたしはもう・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・近道が出来たのならば横手へ廻る必要もないから、この近道を行って見ようと思うて、左へ這入て行ったところが、昔からの街道でないのだから昼飯を食う処もないのには閉口した。路傍の茶店を一軒見つけ出して怪しい昼飯を済まして、それから奥へ進んで行く所が・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・よって鴎が白い蓮華の花のように波に浮んでいるのも見たし、また沢山のジャンクの黄いろの帆や白く塗られた蒸気船の舷を通ったりなんかして昨日の気象台に通りかかると僕はもう遠くからあの風力計のくるくるくるくる廻るのを見て胸が踊るんだ。すっとかけぬけ・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・ 三 庭へ廻ると、廊下の隅に吊るした鸚哥の籠の前にふき子が立っている。紫っぽい着物がぱっと目に映えて、硝子越し、小松の生えた丘に浮かんで花が咲いたように見えた。陽子は足音を忍ばせ、いきなり彼女の目の下へ姿を現わ・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・舌の戦ぎというのは、ロオマンチック時代のある小説家の云った事で、女中が主人の出た迹で、近所をしゃべり廻るのを謂うのである。 木村は何か読んでしまって、一寸顔を蹙めた。大抵いつも新聞を置くときは、極 apathique な表情をするか、そ・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・車全体はわたくしどもを目の廻るようにゆすっていました。ですから一しょう懸命に「けっこう、けーっーこーう」とどならなくてはなりませんでした。まるで雄鶏が時をつくるようでございましたわね。あれが軟い、静かな二頭曳の馬車の中でしたら、わたくしは俯・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「辻馬車」
・・・竹藪を廻ると急に彼は駈け出したが、結局このままでは自分から折れない限り、二人の間でいつまでも安次を送り合わねばならぬと考えついた時には、もう彼の足は鈍っていた。そして今逆に先手を打って、安次を秋三から心良く寛大に引き取ってやったとしたならば・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫