・・・さわやかにもたげた頭からは黄金の髪が肩まで垂れて左の手を帯刀のつかに置いて屹としたすがたで町を見下しています。たいへんやさしい王子であったのが、まだ年のわかいうちに病気でなくなられたので、王様と皇后がたいそう悲しまれて青銅の上に金の延べ板を・・・ 有島武郎 「燕と王子」
・・・いや、恥も外聞もない、代官といえば帯刀じゃ。武士たるものは、不義ものを成敗するはかえって名誉じゃ、とこうまで間違っては事面倒で。たって、裁判沙汰にしないとなら、生きておらぬ。咽喉笛鉄砲じゃ、鎌腹じゃ、奈良井川の淵を知らぬか。……桔梗ヶ池へ身・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・油会所時代に水戸の支藩の廃家の株を買って小林城三と改名し、水戸家に金千両を献上して葵の御紋服を拝領し、帯刀の士分に列してただの軽焼屋の主人ではなくなった。椿岳が小林姓を名乗ったは妻女と折合が悪くて淡島屋を離別されたからだという説があるが全く・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・「三越に大概な物はあるが、日本刀とピストルがない」と何かの機会にたいへん興奮してP君が言った事がある。「帯刀の廃止、決闘の禁制が生んだ近代人の特典は、なんらの罰なしに自分の気に入らない人に不当な侮辱を与えうる事である。愚弄に報ゆるに愚弄をも・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・ 名主には帯刀ごめんとそうでないのとの二つがあったが、僕の父親はどっちだったか忘れてしまった。あの相模屋という大きな質屋と酒屋との間の長屋は、僕の家の長屋で、あの時分に玄関を作れるのは名主にだけは許されていたから、名主一名お玄関様という・・・ 夏目漱石 「僕の昔」
・・・ たとえば日本士族の帯刀はおのずからその士人の心を殺伐に導き、かつまた、その外面も文明の体裁に不似合なればとて、廃刀の命を下したるが如く、政治上に断行して一時に人心を左右するは劇薬を用いて救急の療法を施すものに等しく、はなはだ至当なりと・・・ 福沢諭吉 「政事と教育と分離すべし」
・・・連歌の戻りかな秋立つや白湯香しき施薬院秋立つや何に驚く陰陽師甲賀衆のしのびの賭や夜半の秋いでさらば投壺参らせん菊の花易水に根深流るゝ寒さかな飛騨山の質屋鎖しぬ夜半の冬乾鮭や帯刀殿の台所 これらの材料は蕪村・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・次に本郷弓町の寄合衆本多帯刀の家来に、遠い親戚があるので、そこへ手伝に往った。こんな風に奉公先を取り替えて、天保六年の春からは御茶の水の寄合衆酒井亀之進の奥に勤めていた。この酒井の妻は浅草の酒井石見守忠方の娘である。 未亡人もりよも敵の・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫