・・・向嶋の堤防はこの辺までも平に地ならしされて、同じように自働車やトラックの疾走する処にしている。百花園は白鬚神社の背後にあるが、貧し気な裏町の小道を辿って、わざわざ見に行くにも及ばぬであろう。むかし土手の下にささやかな門をひかえた長命寺の堂宇・・・ 永井荷風 「水のながれ」
・・・不公平な世の中を公平にしてやろうと云うのに、世の中が云う事をきかなければ、向の方が悪いのだろう」「しかし世の中も何だね、君、豆腐屋がえらくなるようなら、自然えらい者が豆腐屋になる訳だね」「えらい者た、どんな者だい」「えらい者って・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・ ゆえに世の富豪・貴族、もしくは政をとるの人、天理人道の責を重んじ、心を虚にして気を平にし、内に自からかえりみて、はたして心に得るものあらば、読書の士君子を助けてその術を施さしめ、読書家もまた己れを忘れて力をつくし、ともに天下の裨益を謀・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・ 何かして、フト手の利かない事を忘れて、物を握ろうとなどすると平にのばした腕には何の感覚もなく一寸動こうともしないのに気がつくと、血の出るほど唇をかんで栄蔵は凹んだ頬へ大粒な涙をボロボロ、ボロボロとこぼした。 家の行末を思い、二人の・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
出典:青空文庫