・・・そのあたりはすこしばかりの平地で稲の刈り乾されてある山田。それに続いた桑畑が、晩秋蚕もすんでしまったいま、もう霜に打たれるばかりの葉を残して日に照らされていた。雑木と枯茅でおおわれた大きな山腹がその桑畑へ傾斜して来ていた。山裾に沿って細い路・・・ 梶井基次郎 「闇の書」
・・・昔は天主閣の建っていた所が平地になって、いつしか姫小松まばらにおいたち、夏草すきまなく茂り、見るからに昔をしのばす哀れなさまとなっています。 私は草を敷いて身を横たえ、数百年斧の入れたことのない欝たる深林の上を見越しに、近郊の田園を望ん・・・ 国木田独歩 「春の鳥」
・・・その他名も知れぬ細流小溝に至るまで、もしこれをよそで見るならば格別の妙もなけれど、これが今の武蔵野の平地高台の嫌いなく、林をくぐり、野を横切り、隠れつ現われつして、しかも曲りくねって流るる趣は春夏秋冬に通じて吾らの心を惹くに足るものがある。・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・そしてすぐ馬によって平地へ引き上げられた。一つが落ちこむと、あとのも、つづいて、コトンコトンと落ちては引き上げられた。滑桁の金具がキシキシ鳴った。「ルー、ルルル。……」 イワンは、うしろの馭者に何か合図をした。 大隊長は、肥り肉・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・ 末野を過ぐる頃より平地ようやく窄り、左右の山々近く道に逼らんとす。やがて矢那瀬というに至れば、はや秩父の郡なり。川中にいと大なる岩の色丹く見ゆるがあり。中凹みていささか水を湛う。土地の人これを重忠の鬢水と名づけて、旱つづきたる時こを汲・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・ 新浴場の位置は略崖下の平地と定った。荒れるに任せた谷陰には椚林などの生い茂ったところもある。桜井先生は大尉を誘って、あちこちと見て廻った。今ある自分の書斎――その建物だけを、先生はこの鉱泉側に移そうという話を大尉にした。 対岸に見・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・河に沿うて、河から段々陸に打ち上げられた土沙で出来ている平地の方へ、家の簇がっている斜面地まで付いている、黄いろい泥の道がある。車の轍で平らされているこの道を、いつも二輪の荷車を曳いて、面白げに走る馬もどこにも見えない。 河に沿うて付い・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・停車場は寂しく、平地に立てられている。定木で引いた線のような軌道がずっと遠くまで光って走っていて、その先の地平線のあたりで、一つになって見える。左の方の、黄いろみ掛かった畑を隔てて村が見える。停車場には、その村の名が付いているのである。右の・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・その前の平地に沢山のテエブルと椅子が並べてあって、それがほとんど空席のないほど遊山の客でいっぱいになっている。テエブルの上には琥珀のように黄色いビイルと黒耀石のように黒いビイルのはいったコップが並んで立っている。どちらを見ても異人ばかりであ・・・ 寺田寅彦 「異郷」
・・・農家らしい古家では今でも生垣をめぐらした平地に、小松菜や葱をつくっている。また方形の広い池を穿っているのは養魚を業としているものであろう。 突然、行手にこんもりした樹木と神社の屋根が見えた。その日深川の町からここに至るまで、散歩の途上に・・・ 永井荷風 「元八まん」
出典:青空文庫