・・・そこに頬骨の高い年増が一人、猪首の町人と酒を飲んでいた。年増は時々金切声に、「若旦那」と相手の町人を呼んだ。そうして、――穂積中佐は舞台を見ずに、彼自身の記憶に浸り出した。柳盛座の二階の手すりには、十二三の少年が倚りかかっている。舞台には桜・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・ そこへ…… 六 いかに、あの体では、蝶よりも蠅が集ろう……さし捨のおいらん草など塵塚へ運ぶ途中に似た、いろいろな湯具蹴出し。年増まじりにあくどく化粧った少い女が六七人、汗まみれになって、ついそこへ、並木を来・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・円髷の年増と、その亭主らしい、長面の夏帽子。自動車の運転手が、こつこつと一所に来たでしゅ。が、その年増を――おばさん、と呼ぶでございましゅ、二十四五の、ふっくりした別嬪の娘――ちくと、そのおばさん、が、おばしアん、と云うか、と聞こえる……清・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・いきなり、けらけらと笑ったのは大柄な女の、くずれた円髷の大年増、尻尾と下腹は何を巻いてかくしたか、縞小紋の糸が透いて、膝へ紅裏のにじんだ小袖を、ほとんど素膚に着たのが、馬ふんの燃える夜の陽炎、ふかふかと湯気の立つ、雁もどきと、蒟蒻の煮込のお・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・越後路から流漂した、その頃は色白な年増であった。呼込んだ孫八が、九郎判官は恐れ多い。弁慶が、ちょうはん、熊坂ではなく、賽の目の口でも寄せようとしたのであろう。が、その女振を視て、口説いて、口を遁げられたやけ腹に、巫女の命とする秘密の箱を攫っ・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・妙齢の娘か、年増の別嬪だと、かえってこっちから願いたいよ。」「……運転手さん、こちらはね、片原へ恋人に逢いにいらっしゃったんだそうですから。」 しっぺい返しに、女中にトンと背中を一つ、くらわされて、そのはずみに、ひょいと乗った。元来・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・突然、年増の行火の中へ、諸膝を突込んで、けろりとして、娑婆を見物、という澄ました顔付で、当っている。 露店中の愛嬌もので、総籬の柳縹さん。 すなわちまた、その伝で、大福暖いと、向う見ずに遣った処、手遊屋の婦は、腰のまわりに火の気が無・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・吉弥は初めて年増にふさわしい発言をして自分自身の膳にもどり、猪口を拾って、「おッ母さん一杯お駄賃に頂戴よ」「さア、僕が注いでやろう」と、僕は手近の銚子を出した。「それでも」と、お袋は三味を横へおろして、「よく覚えているだけ感・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・合順番札にて差上候儀は全く無類和かに製し上候故御先々様にてかるかるやきまたは水の泡の如く口中にて消候ゆゑあはかるやきかつ私家名淡島焼などと広く御風聴被成下店繁昌仕ありがたき仕合に奉存製法入念差上来候間年増し御疱瘡流行の折ふし御軽々々御仕上被・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・艶ッぽい節廻しの身に沁み入るようなのに聞惚れて、為永の中本に出て来そうな仇な中年増を想像しては能く噂をしていたが、或る時尋ねると、「時にアノ常磐津の本尊をとうとう突留めたところが、アンマリ見当外れでビックリした。仇な年増どころか皺だらけのイ・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
出典:青空文庫