・・・わたしたちは、一九四九年度の毎日文化賞のための世論調査の結果として、第一位が長崎の永井隆「この子をのこして」であり、第何位かに吉川英治を見出したのであったから。しかし、この一つの事実は、その事実が結論されて来るまでの条件として他のもう一つの・・・ 宮本百合子 「しかし昔にはかえらない」
一九五〇年度は、青少年の犯罪が一般の重大な関心をひいた。 青少年の犯罪は、ふっとそんな気になって、ついやられてしまう。それが習癖にもなる。そのついやることは、きょうの社会のわれ目が巨大であり非条理であるに応じて、大きい・・・ 宮本百合子 「修身」
・・・一九二八年――二九年の経済年度からソヴェトでは生産拡張の五ヵ年計画にとりかかった。 ――そりゃもう知らない者ないよ。 ――この五ヵ年計画って仕事は、ソヴェト同盟がヨーロッパ資本主義国の生産に追いつき追い抜こうっていう、大した計画だ。・・・ 宮本百合子 「正月とソヴェト勤労婦人」
・・・慌しく忙しく流行作家は長篇を書き下しつづけたのであったが、この商業的な文学の隆昌が、昭和十四年度にははっきり文学のインフレ景気という名称を蒙って、出版界の賑かさに反比例する文学の質の低下が真面目に注目されるようになった。 文学の精神は自・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・十八年度最終の出版整備が公表されて程なくのことである。 今日の本やの気分というものを犇と感じつつ見ると「青眉抄」上村松園とある。「おや、珍しい本だこと」「さすがに装幀もようござんすね」そう云ったきり一冊しか出さないのである。・・・ 宮本百合子 「「青眉抄」について」
・・・ように強烈な、ヨーロッパ的立体性をもった内容の新しい心境文学を創り出すことができないでいる間に、いい加減に残されていたリアリズムの高唱、明治文学再評価がかえって実際の実を結び、ブルジョア文学の上に、本年度の特徴をなす一現象が現れた。それは、・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
・・・ さて大掴みに注目されるこれらの三つの現象は、本年度にどう展開されてゆくでしょうか。 これまでは文学の問題は文学の枠の中からだけとやかくいわれました。しかしこの段階は誰の目にもはっきり過去のものとしてうつっていると思います。なぜなら・・・ 宮本百合子 「一九四七・八年の文壇」
・・・一九三一年度に、各連邦のプロレタリア文学を網羅する文学オリムピアーダの計画が発表された。 全ソヴェト作家協会からソヴェト芸術全般にわたって、新人紹介、その社会主義建設事業紹介の役割をもつ大文集が出版される計画だ。これは同時に、英、仏、独・・・ 宮本百合子 「ソヴェト文壇の現状」
・・・この感情が普遍的だということは、ラジオが一九四七年度のハイライトで水泳の古橋選手を紹介するとき、アナウンサーは古橋選手のレコードで日本もやっと国際的な一つの窓をあけられたように明るくなった、と語った。日本の国際感覚には、後進国らしくそして封・・・ 宮本百合子 「それらの国々でも」
・・・古顔の連中は一高や大学で漱石に教わった人たちであるが、その中で大学の卒業年度の最もあとなのは安倍能成君であって、そのあとはずっと途絶えていた。安倍君と同じ組には魚住影雄、小山鞆絵、宮本和吉、伊藤吉之助、宇井伯寿、高橋穣、市河三喜、亀井高孝な・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫