・・・眼前を過ぎる幻像を悲痛のために強直した顔の表情で見詰めながら、さながら鍵盤にのしかかるようにして弾いているショパンの姿が、何か塹壕から這い出して来る決死隊の一人ででもあるような気がするのである。 リストが音楽商の家の階段を気軽にかけ上が・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・コローの絵を想い出させるようなフランスの田舎の幻像がスクリーンの上を流れて行く、老人と子供が雪夜の石段を下りて来る図や、密航船の荷倉で人参をかじる図なども純粋に挿画的である。 三 管弦楽映画 ベルリンフィルハルモニ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(5[#「5」はローマ数字、1-13-25])」
・・・そうして地獄を見物に行って来たダンテのように、今見て来た変わった世界の幻像をいつまでもいつまでも心の中で繰り返し蒸し返すように余儀なくされるのである。あるいはまた艶歌師アルベールが結婚の準備にと買って来た女のスリッパーを取り出す場面と切り換・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・例えば現代の分子説や開闢説でも古い形而上学者の頭の中に彷徨していた幻像に脈絡を通じている。ガス分子論の胚子はルクレチウスの夢みた所である。ニュートンの微粒子説は倒れたが、これに代るべき微粒子輻射は近代に生れ出た。破天荒と考えられる素量説のご・・・ 寺田寅彦 「科学上の骨董趣味と温故知新」
・・・一時に氷が増してよく冷えると見えて、少し心が落付いたが、次第に昇る熱のために、纏まった意識の力は弱くなり、それにつれて恐ろしい熱病の幻像はもう眼の前に押寄せて来る。いつの間にか自分と云うものが二人に別れる。二人ではあるがどちらも自分である。・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・とも知れず謡い伝えられたこの物語には、それ自身にすでにどことなくエキゾティックな雰囲気がつきまとっているのであるが、それがこの一風変わった西欧詩人の筆に写し出されたのを読んでみると実に不思議な夢の国の幻像を呼び出す呪文ででもあるように思われ・・・ 寺田寅彦 「小泉八雲秘稿画本「妖魔詩話」」
・・・とある、これが昔おろした子供の亡魂の幻像であったというのである。実に簡潔で深刻に生ま生ましい記載である。蓮の葉はおそらく胎盤を指すものであろうか。こういう例は到底枚挙する暇のないことであろう。 錯綜した事象の渾沌の中から主要なもの本質的・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・しかし、グリーンホテルを緑屋などと訳してみた覚えは全然ないのであるが、いつか一度ぐらいひょっとそんな事を考えてそれきり忘れていたのが夢という現象の不思議な機巧によって忘却の闇の奥から幻像の映写幕の上に引き出されたのではないか、そうとでも考え・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・ このように、新聞はその記事の威力によって世界の現象自身を類型化すると同時に、その類型の幻像を天下に撤き広げ、あたかも世界じゅうがその類型で満ち満ちているかのごとき錯覚を起こさせ、そうすることによって、さらにその類型の伝播をますます助長・・・ 寺田寅彦 「ジャーナリズム雑感」
・・・ずれる日が来たのであったが、その時からまたさらに二十年を隔てた今の自分には、この油絵のスイスと、現実に体験したスイスとの間の差別の障壁はおおかた取り払われてしまって、かえって二十年前の現実が四十年前の幻像の中に溶け込むようにも思われるのであ・・・ 寺田寅彦 「青衣童女像」
出典:青空文庫