・・・今日に至るまで、これらの幼稚なる偶像破壊者の手を免がれて、記憶すべき日本の騎士時代を後世に伝えんとする天主閣の数は、わずかに十指を屈するのほかに出ない。自分はその一つにこの千鳥城の天主閣を数えうることを、松江の人々のために心から祝したいと思・・・ 芥川竜之介 「松江印象記」
・・・――そのころの詩というものは、誰も知るように、空想と幼稚な音楽と、それから微弱な宗教的要素のほかには、因襲的な感情のあるばかりであった。自分でそのころの詩作上の態度を振返ってみて、一ついいたいことがある。それは、実感を詩に歌うまでには、ずい・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・ その頃は医術も衛生思想も幼稚であったから、疱瘡や痲疹は人力の及び難ない疫神の仕業として、神仏に頼むより外に手当の施こしようがないように恐れていた。それ故に医薬よりは迷信を頼ったので、赤い木兎と赤い達磨と軽焼とは唯一無二の神剤であった。・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・考証家の極めて少ない、また考証の極めて幼稚な日本の学界は鴎外の巨腕に待つものが頗る多かった。鴎外が董督した改訂六国史の大成を見ないで逝ったのは鴎外の心残りでもあったろうし、また学術上の恨事でもあった。 鴎外が博物館総長の椅子に坐るや・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・そのころの映画はまだ幼稚だったし、トーキーもなかった。 トーキーでやれば、『出家とその弟子』は、きっと成功すると私は思っている。それはこの作が芝居で困難なのは動きの少ない対話のシーンが多いからだが、映画なら大うつしがきくし、トーキーなら・・・ 倉田百三 「『出家とその弟子』の追憶」
・・・交通の便利は未だ十分ならず、商業機関の発達も猶幼稚であった時に際して、信頼すべき倉庫が、殆んど唯一の此の大商業地に必要で有ったろうことは云うまでも無い。納屋貸衆は多くの信ぜらるる納屋を有していて之を貸し、或は其在庫品に対して何等かの商業上の・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・のは、死ぬ三四年前あたりから、急に光って来たような処があって、一呼吸にああいう処へ躍り入ったような風に見えたが、その残して置いた反古なぞを見ると、透谷集の中にある面白い深味のあるものが、皆ずっと以前の幼稚なものから、出発して来ていることが解・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・すると、官僚は、妙な笑い声を交えながら、実に幼稚な観念語(たとえば、研究中、ごもっともながらそこを何とか、日本再建、官も民も力を合せ、それはよく心掛けているつもり、民主々義の世の中、まさかそんな極端な、ですから政府は皆さんの御助力を願って、・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
・・・にも、いくら本屋の人からそう書けと命令されても、さすがに自慢は書けず、もともと自分の小説の幼稚にして不手際なのには自分でも呆れているのであるから、いよいよ宣伝などは、思いも寄らぬ事の筈であるが、けれども、いま自分の書きかけの小説「右大臣実朝・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・ 見なれた人にはなんでもない物事に対する、これを始めて見た人の幼稚な感想の表現には往々人をして破顔微笑せしめるものがあるのである。 文楽の人形芝居については自分も今まで話にはいろいろ聞かされ、雑誌などでいろいろの人の研究や評論などを・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
出典:青空文庫