・・・始めの間帳場はなだめつすかしつして幾らかでも納めさせようとしたが、如何しても応じないので、財産を差押えると威脅した。仁右衛門は平気だった。押えようといって何を押えようぞ、小屋の代金もまだ事務所に納めてはなかった。彼れはそれを知りぬいていた。・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・あの通り縹致はいいし、それに読み書きが好きで、しょっちゅう新聞や小説本ばかり覗いてるような風だから、幾らか気位が高くなってるんでしょう」「だってお前、気位が高いから船乗りが厭だてえのは間違ってる。そりゃ三文渡しの船頭も船乗りなりゃ川蒸気・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・そして最初に訪ねて来た時分の三百の煮え切らない、変に廻り冗く持ちかけて来る話を、幾らか馬鹿にした気持で、塀いっぱいに匐いのぼった朝顔を見い/\聴いていたのであった。所がそのうち、二度三度と来るうちに、三百の口調態度がすっかり変って来ていた。・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・彼等は内の箪笥の抽斗にまだ幾らかの金を持っている人達で、もし無心でも言われてはならないと思ったのである。その外の男等は冷淡に踵を旋らして、もと来た道へ引き返した。頭を垂れて、唇を噛みながらゆるやかに引返した。この男等は、人に分けてやるような・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・其頃になってからは瞽女の風俗も余程変って来て居た。幾らか綺麗な若いものは三味線よりも月琴を持って流行唄をうたって歩いた。そうして目明が多くなった。お石は来なかった。それっきり来なくなったのである。太十は落胆した。迷惑したのは家族のものであっ・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・するような嫌いがあるが、つまり具体的の一箇の人じゃなくて、ある一種の人が人生に対する態度だ、而してその一種の人とは即ち文学者……必ずしも今の文学者ばかりじゃなく、凡そ人間在って以来の文学者という意味も幾らか含ませたつもりだ。だから今度の作で・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・それで貌の処だけは幾らか斟酌して隙を多く拵えるにした所で、兎に角頭も動かぬようにつめてしまう。つまり死体は土に葬むらるる前に先ずおが屑の嚢の中に葬むらるるのである。十四五年前の事であるが、余は猿楽町の下宿にいた頃に同宿の友達が急病で死んでし・・・ 正岡子規 「死後」
・・・つまり友達としては向上心もあり、感受性も活溌で、幾らかはスポーティな、いってみれば手ごたえの鮮やかな女性を好む若い男たちが、いざ結婚のあいてを選ぶとなると案外そのようなタイプとは逆の、いわゆる家庭的と総称されて来ている娘たちの方を妻として安・・・ 宮本百合子 「異性の友情」
・・・やっぱりその仕事はきっと幾らかの金になったのだから。 それは訪問であった。玉子売りのときのように知らない家の水口から一太が一人で、「こんちは」と訪ねるのではない。母親がそのときは一太の手をひいて玄関から、「今日は、御免下さい・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・充分野良のかせぎは出来て、厄介な、一年二年兵隊にとられることだけは免れそうな若者という念の入った婿選びをした――簡単にいえば、清二という若者は、左右の足の大きさが、普通の人の違いより幾らかひどく違っていた。勇吉は、兵隊靴はただ一つの型で作ら・・・ 宮本百合子 「田舎風なヒューモレスク」
出典:青空文庫