・・・昔ながらの煽げば煙たいへっついでも、幾らか改良を加えれば、それに文化という字をつけて文化竈と呼ぶようなものである。私たち人間の自然な心には、成長を歓ぶ心、進歩を求める欲求が深く潜んでいて、文化という表現に人々が我知らず籠めている内容には貴重・・・ 宮本百合子 「今日の生活と文化の問題」
・・・ あたりに見る人はないのですし私だって幾らか気が軽くなって居るので、黒土の現れた所へ来ると、わざわざ腰をまげて手で目鏡を作りながら、「あら御覧なさい、 ここは真くらですよ。 まあ彼那お爺さんが提灯を持って行きますよ。・・・ 宮本百合子 「小さい子供」
・・・――都会人の観賞し易い傾向の勝景――憎まれ口を云えば、幾らか新派劇的趣味を帯びた美観だ。小太郎ケ淵附近の楓の新緑を透かし輝いていた日光の澄明さ。 然し、塩原は人を飽きさす点で異常に成功している。どんな一寸した風変りな河原の石にも、箒川に・・・ 宮本百合子 「夏遠き山」
・・・ いかにも南フランスの農民出らしい頑丈な、陽気な、そして幾らかホラ吹きな父ベルナールと、生粋のパリッ子で実際的な活動家で情がふかいと同時に小言も多い若い母との間に、三人の子があったが、その総領として「よく太った、下膨れの顔の、冬になると・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・従って技術的にまだ幾らかの不備な点もあることはありますが、プロレタリア解放運動の一面に反宗教運動は、必然的に起る文化活動です。 現代の矛盾だらけな、苦しい社会に生きる吾々は、苦痛そのものの原因を取り去ってくれるものを見つけそれを信じ、そ・・・ 宮本百合子 「反宗教運動とは?」
・・・ 母さえ幾らか打ち興じて、テーブルの上に大きい厚い五十銭銀貨を一枚先頭に置いて次にそれより小さい二十銭の銀貨、ちびな十銭、白銅が二枚、でっくりの二銭銅貨、一銭、あとぞろりとけちな五厘銅貨を並べた。「ふーむ」 到頭一円を、百銭にし・・・ 宮本百合子 「百銭」
・・・菓子屋の職人で、すこしは美味い菓子をつくっている自信のあるのがそんな注文をうけたりしたら、やっぱりまかせられたうれしさよりも、そういう大ざっぱな味いかたを幾らか腹立たしく感じそうに思われるけれど、どうかしら。 いろいろ日本の生活の感情の・・・ 宮本百合子 「見つくろい」
・・・ 武家貴族の生活が婦人を愉しく又苦しい勤労から全く引き離して、しかも完全に政略の犠牲としていたのに反して、より政略の桎梏の少い下級武士や庶民生活の中では、女性の生活が、文盲ながら幾らか明るさ、健全さを持っていたことを、狂言は語っている。・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・そこで翁は新しい翻訳書を幾らか見るようにしていた。素とフウフェランドは蘭訳の書を先輩の日本訳の書に引き較べて見たのであるが、新しい蘭書を得ることが容易くなかったのと、多くの障碍を凌いで横文の書を読もうとする程の気力がなかったのとの為めに、昔・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・これは現在にある例で説明したら、幾らかわかりやすかろうと思ったからである。 しかしこの説明は功を奏せなかった。子供には昔の寒山が文殊であったのがわからぬと同じく、今の宮崎さんがメッシアスであるのがわからなかった。私は一つの関を踰えて、ま・・・ 森鴎外 「寒山拾得縁起」
出典:青空文庫