・・・ 自分は幾度となく、青い水に臨んだアカシアが、初夏のやわらかな風にふかれて、ほろほろと白い花を落すのを見た。自分は幾度となく、霧の多い十一月の夜に、暗い水の空を寒むそうに鳴く、千鳥の声を聞いた。自分の見、自分の聞くすべてのものは、ことご・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・私も前に泳ぎながら心は後にばかり引かれました。幾度も妹のいる方へ泳いで行こうかと思いました。けれども私は悪い人間だったと見えて、こうなると自分の命が助かりたかったのです。妹の所へ行けば、二人とも一緒に沖に流されて命がないのは知れ切っていまし・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・といったようなことは幾度もいった。しかしそういう時は、「もし詩を作るなら」という前提を心に置いた時か、でなくば口語詩に対して極端な反感を抱いている人に逢った時かであった。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ その間に、私は四五・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・けれども、着がえのなさか、幾度も水を潜ったらしく、肘、背筋、折りかがみのあたりは、さらぬだに、あまり健康そうにはないのが、薄痩せて見えるまで、その処々色が褪せて禿げている。――茶の唐縮緬の帯、それよりも煙草に相応わないのは、東京のなにがし工・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・なぜこんなばかなことをやったのであろうか、われながら考えのないことをしたものかなと、幾度悔いても間に合わなかった。それより四カ月とたたぬうちに父は果たして石塔の主人となられた。一村二十余戸八十歳以上の老齢者五人の中の年長者であるということを・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・らしい友人の身の上や、昔の寄宿舎生活などを思い浮べ 、友人の持っていた才能を延ばし得ないで、こんな田舎に埋れてしまう運命が気の毒になり、そのむくろには今どんな夢が宿っているだろうなどと、寝苦しいままに幾度も寝返りをするうちに、よいに聴いた戦・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・と、幾度となく、その小さな天使の一人は、お母さまに頼みました。 毎夜のように、地球は、美しく、紫色に空間に輝いていました。そして、その地球には天使と同じような姿をした人間が住んで、いろいろな、それは、天使たちには、ちょっと想像のつかない・・・ 小川未明 「海からきた使い」
・・・話上手のKから聴かされては、この噺は幾度聴かされても彼にはおもしろかった。「何と云って君はジタバタしたって、所詮君という人はこの魔法使いの婆さん見たいなものに見込まれて了っているんだからね、幾ら逃げ廻ったって、そりゃ駄目なことさ、それよ・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・――峻はこの城跡へ登るたび、幾度となくその入江を見るのが癖になっていた。 海岸にしては大きい立木が所どころ繁っている。その蔭にちょっぴり人家の屋根が覗いている。そして入江には舟が舫っている気持。 それはただそれだけの眺めであった。ど・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・と辰弥は微笑みて、私はあなたの琴を、この間の那須野のほかに、まあ幾度聞いたとお思いなさる。という。またそのようなことを、と光代は逃ぐるがごとく前へ出でしが、あれまあちょいと御覧なさいまし。いい景色のところへ来たではありませぬか。あの島の様子・・・ 川上眉山 「書記官」
出典:青空文庫