・・・ この煽りに、婆さんが座右の火鉢の火の、先刻からじょうに成果てたのが、真白にぱっと散って、女の黒髪にも婆さんの袖にもちらちらと懸ったが、直ぐに色も分かず日は暮れたのである。「お米さん、まあ、」と抱いたまま、はッはッいうと、絶ゆげな呼・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・椿岳は平素琵琶を愛して片時も座右を離さなかったので、椿岳の琵琶といえばかなりな名人のように聞えていた。が、実はホンの手解きしか稽古しなかった。その頃福地桜痴が琵琶では鼻を高くし、桜痴の琵琶には悩まされながらも感服するものが多かった。負けぬ気・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・夏目さんの座右の物は殆んど凡て支那趣味であった。 硝子のインキスタンドが大嫌いで、先生はわざわざ自身で考案して橋口に作らせたことがある。ところがその出来上ったインキスタンドは実に嫌な格好の物で、夏目さん自身も嫌で仕様がないとこぼしておら・・・ 内田魯庵 「温情の裕かな夏目さん」
・・・十四歳から十七、八歳までの貸本屋学問に最も夢中であった頃には少なくも三遍位は通して読んだので、その頃は『八犬伝』のドコかが三冊や四冊は欠かさず座右にあったのだから会心の個処は何遍読んだか解らない。信乃が滸我へ発足する前晩浜路が忍んで来る一節・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・例えば現時の文学に対しても、露伴を第一人者であると推しながらも、座右に置いたのは紅葉全集であった。近松でも西鶴でも内的概念よりはヨリ多くデリケートな文章味を鑑賞して、この言葉の綾が面白いとかこの引掛けが巧みだとかいうような事を能く咄した。ま・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・そして繰りかえし読むことがたのしいような書物を座右に置きたいと思う。 高等学校時代ある教授がかつて「人生五十年の貧しい経験よりもアンナカレーニナの百頁を読む方がどれだけわれわれの人生を豊富にするかも知れない」と言った言葉を、僕はなぜか印・・・ 織田作之助 「僕の読書法」
・・・桂は一度西国立志編の美味を知って以後は、何度この書を読んだかしれない、ほとんど暗誦するほど熟読したらしい、そして今日といえどもつねにこれを座右に置いている。 げに桂正作は活きた西国立志編といってよかろう、桂自身でもそういっている。「・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・いろいろ考えているとき座右の楽譜の巻頭にあるサン・サーンの Rondo Capriccioso という文字が目についた。こういう題もいいかと思う。しかし、ずっと前に同じような断片群にターナーの画帖から借用した Liber Studiorum・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・書斎の壁にはなんとかいう黄檗の坊さんの書の半折が掛けてあり、天狗の羽団扇のようなものが座右に置いてあった事もあった。セピアのインキで細かく書いたノートがいつも机上にあった。鈴木三重吉君自画の横顔の影法師が壁にはってあったこともある。だれかか・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
昭和七年十二月十三日の夕方帰宅して、居間の机の前へすわると同時に、ぴしりという音がして何か座右の障子にぶつかったものがある。子供がいたずらに小石でも投げたかと思ったが、そうではなくて、それは庭の藤棚の藤豆がはねてその実の一・・・ 寺田寅彦 「藤の実」
出典:青空文庫