・・・ と、座蒲団をすすめておいて、写本をひらき、「あと見送りて政岡が……」 ちらちらお君を盗見していたが、しだいに声もふるえてきて、生つばを呑みこみ、「ながす涙の水こぼし……」 いきなり、霜焼けした赤い手を掴んだ。声も立てぬ・・・ 織田作之助 「雨」
・・・蝶子はめっきり肥えて、そこの座蒲団が尻にかくれるくらいであった。 蝶子と柳吉はやがて浄瑠璃に凝り出した。二ツ井戸天牛書店の二階広間で開かれた素義大会で、柳吉は蝶子の三味線で「太十」を語り、二等賞を貰った。景品の大きな座蒲団は蝶子が毎・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ ある朝、彼は日当のいい彼の部屋で座布団を干していた。その座布団は彼の幼時からの記憶につながれていた。同じ切れ地で夜具ができていたのだった。――日なたの匂いを立てながら縞目の古りた座布団は膨れはじめた。彼は眼を瞠った。どうしたのだ。まる・・・ 梶井基次郎 「過古」
・・・ 水番というのか、銀杏返しに結った、年の老けた婦が、座蒲団を数だけ持って、先に立ってばたばた敷いてしまった。平場の一番後ろで、峻が左の端、中へ姉が来て、信子が右の端、後ろへ兄が座った。ちょうど幕間で、階下は七分通り詰まっていた。 先・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・そしてそこにあった座布団を二つに折ると×××× 龍介はきゅうに心臓がドキンドキンと打つのを感じた。「ばか、俺は何もするつもりじゃないんだ」彼は少しどもった。女は初め本当にせず、×××××。龍介はだまって立っていた。「本当?」「本・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・女はきいた。 五 廊下の板が一枚一枚しのり返っていて、歩くとギシギシいった。女は座蒲団を持って先に立ちその一番端しの室に彼を案内した。女は金を受取ると出ていった。廊下を行く足音を龍介はじいときいていた。彼はきゅうに身・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・お力はお力で、座蒲団や煙草盆なぞをそこへ運んで来た。「御隠居さんの前ですが、この食堂は当りましたよ」と金太郎は力を入れて言った。「そりゃ日比谷辺へ行って御覧になると分りますが、震災このかた食物屋の出来ましたこと。何々食堂としたようなのが・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・ 破れて綿のはみ出ている座蒲団を私はお二人にすすめて、「畳が汚うございますから、どうぞ、こんなものでも、おあてになって」 と言い、それから改めてお二人に御挨拶を申しました。「はじめてお目にかかります。主人がこれまで、たいへん・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・そんな場合、さあ、さあ、と気軽に座蒲団をすすめる男は、男爵でなかった。よく思い切って訪ねて来て呉れましたね、とほめながらお茶を注いでやる別の男は、これも男爵でなかった。君の眼は、嘘つきの眼ですね、と突然言ってその新来の客を驚愕させる痩せた男・・・ 太宰治 「花燭」
・・・ 道太たちが長火鉢に倚ろうとすると、彼女は中の間の先きの庭に向いた部屋へ座蒲団を直して、「そこは暑いぞに。ここへおいでたら」と勧めた。「この家も久しいもんだね。また取り戻したんだね」「え、取り戻したというわけじゃないけれど、・・・ 徳田秋声 「挿話」
出典:青空文庫