・・・何も御在ませんがと言って、座敷へ座布団を出して敷いてくれた。三十ぢかい小づくりの垢抜のした女であった。 焼海苔に銚子を運んだ後、おかみさんはお寒いじゃ御在ませんかと親し気な調子で、置火燵を持出してくれた。親切で、いや味がなく、機転のきい・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・と云いながら、白地の浴衣に片足をそと崩せば、小豆皮の座布団を白き甲が滑り落ちて、なまめかしからぬほどは艶なる居ずまいとなる。「美しき多くの人の、美しき多くの夢を……」と膝抱く男が再び吟じ出すあとにつけて「縫いにやとらん。縫いとらば誰に贈・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・それから、そっと座布団の上に卸した。そうして、烈しく手を鳴らした。 十六になる小女が、はいと云って敷居際に手をつかえる。自分はいきなり布団の上にある文鳥を握って、小女の前へ抛り出した。小女は俯向いて畳を眺めたまま黙っている。自分は、餌を・・・ 夏目漱石 「文鳥」
・・・その煤けた天照大神と書いた掛物の床の間の前には小さなランプがついて二枚の木綿の座布団がさびしく敷いてあった。向うはすぐ台所の板の間で炉が切ってあって青い煙があがりその間にはわずかに低い二枚折の屏風が立っていた。 二人はそこにあったもみく・・・ 宮沢賢治 「泉ある家」
・・・ 椅子の上から座布団を下し、縁側に並べた。「どんな? 工合」「ゆうべは閉口しちゃった、御飯の時」「ほーら! いってたの、うちでも岡本さんと。今ごろ陽ちゃんきっとまいっていてよって。少しいい気味だ、うちへ来ない罰よ」「今晩・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・部屋の中で座布団をぶつけ合って騒ぐ。或はもう少しおとなしい子供らしく静かに電車ごっこでもする。遊びはいつもの遊びなのだが何だか部屋の隅々が暗く、物の陰翳が深く、様子が違う。その何だか違う感じが小さい子の感情を限りなく魅する。ちょっぴりこわい・・・ 宮本百合子 「雨と子供」
・・・ 机が二つ九十度の角を形づくるように据えて、その前に座布団が鋪いてある。そこへ据わって、マッチを擦って、朝日を一本飲む。 木村は為事をするのに、差当りしなくてはならない事と、暇のある度にする事とを別けている。一つの机の上を綺麗に空虚・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・と云って、勝手へ往ったが、外套と靴とを置いて、座布団と煙草盆とを持って出て来た。そして百日紅の植わっている庭の方の雨戸が疎らに締まっているのを、がらがらと繰り開けた。庭は内から見れば、割合に広い。爺さんは生垣を指ざして、この辺は要塞が近いの・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・ 三度目に灸が五号の部屋を覗くと、女の子は座蒲団を冠って頭を左右に振っていた。「お嬢ちゃん。」 灸は廊下の外から呼んでみた。「お這入りなさいな。」と、婦人はいった。 灸は部屋の中へ這入ると暫く明けた障子に手をかけて立って・・・ 横光利一 「赤い着物」
・・・上蒲団の一枚を四つに折って顔の上に乗せたまま、両手で抱きかかえているので、彼の寝姿は座蒲団を四五枚顔の上に積み重ねているように見えて滑稽だった。どういう夢を見ているものだろうかと、夜中ときどき梶は栖方を覗きこんだ。ゆるい呼吸の起伏をつづけて・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫