・・・門前から見るとただ大竹藪ばかり見えて、本堂も庫裏もないようだ。その御寺で毎朝四時頃になると、誰だか鉦を敲く」「誰だか鉦を敲くって、坊主が敲くんだろう」「坊主だか何だか分らない。ただ竹の中でかんかんと幽かに敲くのさ。冬の朝なんぞ、霜が・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・そして、西村氏と姓を書いて、矢車のすこし変形したような紋がついている手桶を出させ、さて、一行は、庫裏のよこてから、井戸へゆくのだった。 いよいよ井戸へ向うことになると、子供たちは勇みたった。それは、もう牧田の牛が目のさきだからだった。け・・・ 宮本百合子 「道灌山」
・・・千呆禅師が天和二年に長崎の饑饉救済をしたという大釜の前に立って居ると、庫裡からひどく仇っぽさのある細君が吾妻下駄をからころ鳴して出て来た。龍宮造りの楼門のところで遊んで居る息子を頻りに呼ぶ。息子は来ず、労働服をつけた男が家に帰るらしく石段を・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・私共は大庫裡の森とした土間に立って案内を乞うた。二声三声呼ぶと、ことこと階子を下りて来る子供の跫音がする。家庭的雰囲気を感じ、頬笑んだ我々の前に現われたのは、十ばかりの洋服を着た女の子、赤ちゃんを重そうに抱いている。その赤ちゃんが、居留地の・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・九郎右衛門は住持に、自分達の来たのを知らせてくれるなと口止をして、自分と文吉とは庫裡に隠れていた。住持はなぜかと問うたが、九郎右衛門は只「謀は密なるをとうとぶと申しますからな」と云ったきり、外の話にまぎらした。墓参に来たのは原田、桜井の女房・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・これは討手の群れが門外で騒いだとき、内陣からも、庫裡からも、何事が起ったかと、怪しんで出て来たのである。 初め討手が門外から門をあけいと叫んだとき、あけて入れたら、乱暴をせられはすまいかと心配して、あけまいとした僧侶が多かった。それを住・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
出典:青空文庫