・・・ 尤も私は飲んだり喰ったりして遊ぶ事が以前から嫌いだったから、緑雨に限らず誰との交際にも自ずから限度があったが、当時緑雨は『国会新聞』廃刊後は定った用事のない人だったし、私もまた始終ブラブラしていたから、懶惰という事がお互いの共通点とな・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・続いて、某銀行内部の中傷記事が原因して罰金三十円、この後もそんなことが屡あって、結局お前は元も子もなくしてしまい無論廃刊した。 お前は随分苦り切って、そんな羽目になった原因のおれの記事をぶつぶつ恨みおかしいくらいだったから、思わずにやに・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ パリにおけるマルクス一家の経済的基礎であった『独仏年誌』は失敗して、わずか二号で廃刊した。資金が続かなくなった。その上ドイツ官憲は執筆者たるマルクス、ルーゲ、ハイネ等の入国を禁止し、『年誌』の輸入を禁じ国境で没収した。カールが受取るべ・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・『人民文庫』は昨年の初めごろ急に廃刊されたが、そのことのうちにも、歴史の響きがこもっていた。 作家として「石狩川」をまとめて命を終られたことは或る意味で本懐であったであろう。けれども平林氏の死にしろ本庄氏の死にしろ、或る発足をした作・・・ 宮本百合子 「作家の死」
・・・ このごろの出版不況で、文芸雑誌のいくつかが廃刊した。そして、雑誌を廃刊し、また経営不振におちいった出版社は、ほとんど戦後の新興出版社であり、「老舗はのこっている」。 出版不況は、戦後の浮草的出版業を淘汰したと同時に、同人雑誌の活溌・・・ 宮本百合子 「しかし昔にはかえらない」
用紙節約から廃刊になるということはさけがたいことながらやはりそれぞれにつながる編輯者のこれ迄の御骨折りや読者の好意について感想を新しくいたします。これ迄の足かけ八年間にこの雑誌のつくして来た文化の上での意義が読者の生活の裡・・・ 宮本百合子 「終刊に寄す」
・・・『明六雑誌』というものは明治七年三月に第一号が出て翌八年十一月四十三号まで出して廃刊になった。この『明六雑誌』第二十五号に出た西周の「知説」という論文の一部が、文学の本質、ジャンル等についての西洋学説が日本に紹介された最初のものであったとい・・・ 宮本百合子 「繻珍のズボン」
・・・ 日本文学に響いた能動精神は、社会的行動の面で一貫性をもち得ない必然をはらんでいたこと、従って文学として理論をも持ちかねたことから幾何もなく『行動』も廃刊となって、その標語は文学におけるヒューマニズムという広汎な野づらへ押し出されたので・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・大学新聞は廃刊させられるようになった。法政大学新聞もやがて同じ過程をたどったのだけれども法政大学新聞は最後まで出来る限り、思想の権利、発言の権利、理性の判断する権利を守ろうと努力していて一九三七・八・九年ごろ言論抑圧の困難とたたかいながら進・・・ 宮本百合子 「一つの灯」
・・・『女性改造』の発刊の言葉には、真摯なその熱情があふれていたのにわずか数年の後、『女性改造』は廃刊され、『婦人公論』は急角度に従来ありきたった婦人雑誌の傾向に歩みよらなければならなかったというのは、どういう理由によるものであったろうか。 ・・・ 宮本百合子 「婦人の読書」
出典:青空文庫