・・・彼は一月五円の貸間と一食五十銭の弁当とにしみじみ世の中が厭になると、必ずこの砂の上へグラスゴオのパイプをふかしに来る。この日も曇天の海を見ながら、まずパイプへマッチの火を移した。今日のことはもう仕方がない。けれどもまた明日になれば、必ずお嬢・・・ 芥川竜之介 「お時儀」
・・・「本所かどこかのお弁当屋の娘の気違いになったと云う記事を読んで?」「発狂した? 何で?」 夫はチョッキへ腕を通しながら、鏡の中のたね子へ目を移した。たね子と云うよりもたね子の眉へ。――「職工か何かにキスされたからですって。」・・・ 芥川竜之介 「たね子の憂鬱」
・・・丁度昼弁当時で太陽は最頂、物の影が煎りつく様に小さく濃く、それを見てすらぎらぎらと眼が痛む程の暑さであった。 私は弁当を仕舞ってから、荷船オデッサ丸の舷にぴったりと繋ってある大運搬船の舷に、一人の仲間と竝んで、海に向って坐って居た。仲間・・・ 有島武郎 「かんかん虫」
・・・僕達は先生と一緒に弁当をたべましたが、その楽しみな弁当の最中でも僕の心はなんだか落着かないで、その日の空とはうらはらに暗かったのです。僕は自分一人で考えこんでいました。誰かが気がついて見たら、顔も屹度青かったかも知れません。僕はジムの絵具が・・・ 有島武郎 「一房の葡萄」
昔男と聞く時は、今も床しき道中姿。その物語に題は通えど、これは東の銭なしが、一年思いたつよしして、参宮を志し、霞とともに立出でて、いそじあまりを三河国、そのから衣、ささおりの、安弁当の鰯の名に、紫はありながら、杜若には似も・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・ 小春凪のほかほかとした可い日和の、午前十一時半頃、汽車が高崎に着いた時、彼は向側を立って来て、弁当を買った。そして折を片手に、しばらく硝子窓に頬杖をついていたが、「酒、酒。」 と威勢よく呼んだ、その時は先生奮然たる態度で、のぼ・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・お増は二人の弁当を拵えてやってくれ。お菜はこれこれの物で……」 まことに親のこころだ。民子に弁当を拵えさせては、自分のであるから、お菜などはロクな物を持って行かないと気がついて、ちゃんとお増に命じて拵えさせたのである。僕はズボン下に足袋・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・汽車弁当で夕飯は済してきた」「そうか、それじゃ君一寸風呂に這入り給え。後でゆっくり茶でも入れよう、オイ其粽を出しておくれ」 岡村は自分で何かと茶の用意をする。予は急いで一風呂這入ってくる。岡村は四角な茶ぶだいを火鉢の側に据え、そうし・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・ 吉雄は、学校へゆくのが、おくれてはならないと思って、やがて、かばんを肩にかけ、弁当を下げて出かけました。 吉雄は、学校へいってから、友だちといろいろ話したときに、自分は今日くる前に、やまがらにお湯をやってきたということを話しました・・・ 小川未明 「ある日の先生と子供」
・・・それで、つまり、学校で字を書くときには、鉛筆や、筆を右手に持ち、またお弁当をたべたり、お家でみんなといっしょに、お膳に向かってご飯をたべるときは、はしを左手で持ってもやかましくいわぬということになったのです。そして、もとより、原っぱで、まり・・・ 小川未明 「左ぎっちょの正ちゃん」
出典:青空文庫