・・・やがて日が暮れると、父は寄席へ出かけたが、しばらくすると近所の弁当屋から二人前の弁当を運んできたので、私は新次と二人でそれを食べながら新次にきけば、もう浜子は帰ってこないのだという。あほぬかせと私は本当にしなかったが、翌る日おきみ婆さんがい・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・帰って家内に相談しましてね、貯金ありったけ子供の分までおろしたり物を売ったりして、やっと八千両こしらえましてな、一人じゃ持てないちゅうんで、家族総出、もっとも年寄りと小さいのは留守番にして総勢五人弁当持ちで朝暗い内から起きて京都の堀川まで行・・・ 織田作之助 「世相」
・・・汽船との連絡の待合室で顔を洗い、そこの畳を敷いた部屋にはいって朝の弁当をたべた。乗替えの奥羽線の出るのは九時だった。「それではいよいよ第一公式で繰りだしますか?」「まあ袴だけにしておこうよ。あまり改った風なぞして鉄道員に発見されて罰・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・的衝突と来ては実に珍無類の滑稽にて、一家常に笑声多く、笑う門には福来たるの諺で行けば、おいおいと百千万両何のその、岩崎三井にも少々融通してやるよう相成るべきかと内々楽しみにいたしおり候 しかし今は弁当官吏の身の上、一つのうば車さえ考えも・・・ 国木田独歩 「初孫」
・・・ 飯ができるや、まず弁公はその日の弁当、親父と自分との一度分をこしらえる。終わって二人は朝飯を食いながら親父は低い声で、「この若者はよっぽどからだを痛めているようだ。きょうは一日そっとしておいて仕事を休ますほうがよかろう。」 弁・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・麦飯の弁当がこの上なくうまかった。 槽を使うのは、醤油屋の仕事に慣れた髯面の古江という男がやった。京一は、いつも桃桶で諸味を汲む役をやらせられた。桃桶を使うのは、一番容易な、子供にでもやれる仕事だった。古江が両手で醤油袋の口を開けて差し・・・ 黒島伝治 「まかないの棒」
・・・今まで、鉱車や、坑木に蹲った坑夫や、女達や、その食い終った空の弁当箱などがあったその上へ、いっぱいに、新しい、うず高い岩石の山が落ちかゝっていた。そして、多くの人間は見えなかった。山のような岩の大塊のかげに、蒼白にぶるぶる顫えている幽霊のよ・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
近頃相川の怠ることは会社内でも評判に成っている。一度弁当を腰に着けると、八年や九年位提げているのは造作も無い。齷齪とした生涯を塵埃深い巷に送っているうちに、最早相川は四十近くなった。もともと会社などに埋れているべき筈の人で・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・毎朝、九時頃、私は家の者に弁当を作らせ、それを持ってその仕事部屋に出勤する。さすがにその秘密の仕事部屋には訪れて来るひとも無いので、私の仕事もたいてい予定どおりに進行する。しかし、午後の三時頃になると、疲れても来るし、ひとが恋しくもなるし、・・・ 太宰治 「朝」
・・・ 朝起きて坊やと二人で御飯をたべ、それから、お弁当をつくって坊やを脊負い、中野にご出勤ということになり、大みそか、お正月、お店のかきいれどきなので、椿屋の、さっちゃん、というのがお店での私の名前なのでございますが、そのさっちゃんは毎日、・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
出典:青空文庫