・・・ちょうど引っ越し前であったから一つ所に取りまとめてあった現金や貴重品をそっくりそのままきれいにさらって行った。かなり勝手を知った盗賊であろうという事であったが、結局犯人は見いだされなかった。この、姿を見せないで大きな結果だけを残して行った「・・・ 寺田寅彦 「蒸発皿」
・・・ついでに導線の接合をすっかりハンダで付けさせようと思ったが前の電気屋はとうの昔どこかへ引っ越していなくなったし、別のに頼んでみるとめんどうくさがって、そしてハンダ付けなど必要はないと言ってなかなかやってはくれない。 少々価は高くとも長い・・・ 寺田寅彦 「断水の日」
上野の動物園の象が花屋敷へ引っ越して行って、そこで既往何十年とかの間縛られていた足の鎖を解いてもらって、久しぶりでのそのそと檻の内を散歩している、という事である。話を聞くだけでもなんだかいい気持ちである。肩の凝りが解けたよ・・・ 寺田寅彦 「解かれた象」
・・・それから、自分が生来のわがまま者でたとえば引っ越しの時などでもちっとも手伝わなかったりするので、この点でもすっかり罰点をつけられていた。それからTは国のみやげに鰹節をたった一本持って来たと言って笑われたこともある。しかし子供のような心で門下・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・けしからんことだと思いながらも、なお引っ越し先の模様を尋ねてみると、とうてい自分などの行って、一晩でも二晩でもやっかいになれそうな所ではないらしい。いっそここへ泊まるほうが楽だろうと思って、じゃあいたへやへ案内してくれと言うと、番頭はまたお・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・と痛感する佐々木をこめて一群の日本人が集まって個人的な問題を中心として議論したり、居住の地域を問題にしたり、宿主とケンカしたり、引っ越したり、一人の仲間が引っ越すとその仲間が遠い郊外の引越先まで行って見て、古い党員の下宿主からリンゴを貰って・・・ 宮本百合子 「プロレタリア文学における国際的主題について」
京都に足かけ十年住んだのち、また東京へ引っ越して来たのは、六月の末、樹の葉が盛んに茂っている時であったが、その東京の樹の葉の緑が実にきたなく感じられて、やり切れない気持ちがした。本郷の大学前の通りなどは、たとい片側だけであるにもしろ、・・・ 和辻哲郎 「京の四季」
わたくしが初めて西田幾多郎という名を聞いたのは、明治四十二年の九月ごろのことであった。ちょうどその八月に西田先生は、学習院に転任して東京へ引っ越して来られたのであるが、わたくしが西田先生のことを聞いたのはその方面からではない。第四高等・・・ 和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」
出典:青空文庫