・・・ 縦通りを真直ぐに、中六を突切って、左へ――女子学院の塀に添って、あれから、帰宅の途を、再び中六へ向って、順に引返すと、また向うから、容子といい、顔立もおなじような――これは島田髷の娘さんであった――十八九のが行違った。「そっくりね・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・草のように、土方の手に引摺られた古股引を、はずすまじとて、媼さんが曲った腰をむずむずと動かして、溝の上へ膝を摺出す、その効なく……博多の帯を引掴みながら、素見を追懸けた亭主が、値が出来ないで舌打をして引返す……煙草入に引懸っただぼ鯊を、鳥の・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・遠いまで小さく見える、としばらくして、ふとあとへ戻るような、やや大きくなって、あの土間廊下の外の、萱屋根のつま下をすれずれに、だんだんこなたへ引き返す、引き返すのが、気のせいだか、いつの間にか、中へはいって、土間の暗がりを点れて来る。……橋・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・入かわりて、膳部二調、おりく、おその二人にて運び、やがて引返す。撫子、銚子、杯洗を盆にして出で、床なる白菊を偶と見て、空瓶の常夏に、膝をつき、ときの間にしぼみしを悲む状にて、ソと息を掛く。また杯洗を見て、花を挿直し、猪口にて水を注ぎ入れ・・・ 泉鏡花 「錦染滝白糸」
・・・――…………………………はれて逢われぬ恋仲に、人に心を奥の間より、しらせ嬉しく三千歳が、このうたいっぱいに、お蔦急ぎあしに引返す。早瀬、腕を拱きものおもいに沈む。お蔦 貴方、今帰ってよ。兄さん。早瀬 ああ・・・ 泉鏡花 「湯島の境内」
・・・は、現の中ながらどうかして病が復したいと、かねて信心をする湯島の天神様へ日参をした、その最初の日から、自分が上がろうという、あの男坂の中程に廁で見た穢ない婆が、掴み附きそうにして控えているので、悄然と引返す。翌日行くとまた居やがる。行っちゃ・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ で三人はまた、彼等の住んでいた街の方へと引返すべく、十一時近くなって、電車に乗ったのであった。その辺の附近の安宿に行くほか、何処と云って指して行く知合の家もないのであった。子供等は腰掛へ坐るなり互いの肩を凭せ合って、疲れた鼾を掻き始め・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・その下心でおげんは東京の地を踏んだが、あの伜の家の二階で二人の弟の顔を見比べ、伜夫婦の顔を見比べた時は、おげんは空しく国へ引返すより外に仕方がないと思った。二番目の弟の口の悪いのも畢竟姉を思ってくれるからではあったろうが、しまいにはおげんの・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・私は、家に引き返す。 家へ帰ると、雑誌社の人が来て待っていた。このごろ、ときどき雑誌社の人や、新聞社の人が、私の様子を見舞いに来る。私の家は三鷹の奥の、ずっと奥の、畑の中に在るのであるが、ほとんど一日がかりで私の陋屋を捜しまわり、やあ、・・・ 太宰治 「鴎」
・・・けれどもその時には、もう、私の生活が取りかえしのつかぬところまで落ちていました。引き返すことが出来なくなっていました。落ちるところまで落ちて見ましょう。私は毎晩お酒を飲みました。わかい研究生たちと徹夜で騒ぎました。焼酎も、ジンも飲みました。・・・ 太宰治 「水仙」
出典:青空文庫