・・・ 秋の静かな、午後でありました。弱い日の光が、軽い大地の上にみなぎっていました。のぶ子は、熱心に、母が、箱を開けるのをながめていました。やがて、包みが解かれると、中から、数種の草花の種子が出てきたのであります。 その草花の種子は、南・・・ 小川未明 「青い花の香り」
・・・それを押して、病気だからと事情をのべて頼みこむ、――まずもって私のような気の弱い者には出来ぬことだ。それに、ほかの病気なら知らず、肺がわるいと知られるのは大変辛い。 もうひとつ、私の部屋の雨戸をあけるとすれば、当然隣りの部屋もそうしなく・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・オレンジの混った弱い日光がさっと船を漁師を染める。見ている自分もほーっと染まる。「そんな病弱な、サナトリウム臭い風景なんて、俺は大嫌いなんだ」「雲とともに変わって行く海の色を褒めた人もある。海の上を行き来する雲を一日眺めているの・・・ 梶井基次郎 「海 断片」
・・・と、まもなく白馬一本と野菜の煮つけを少しばかり載せた小ざら一つが文公の前に置かれた。この時やっと頭を上げて、「親方どうも済まない。」と弱い声で言ってまたも咳をしてホッとため息をついた。長おもてのやせこけた顔で、頭は五分刈りがそのまま伸び・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・妻らしく、母らしい婦人が必ずしも生活欲望が弱いとしたものでもないようだ。 子どももなく、生活にも困らない夫婦は、何か協同の仕事を持つことで、真面目な課題をつくるのが、愛を堅め、深くする方法ではあるまいか。 すなわち学校、孤児院の経営・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・南の鉄格子の窓に映っている弱い日かげが冬至に近いことを思わせた。彼は、正月の餅米をどうしたものか、と考えた。「どうも話の都合が悪いんじゃ。」やっと帰ってきた杜氏は気の毒そうに云った。「はあ。」「貯金の規約がこういうことになっとる・・・ 黒島伝治 「砂糖泥棒」
・・・けれどもそこは小児の思慮も足らなければ意地も弱いので、食物を用意しなかったため絶頂までの半分も行かぬ中に腹は減って来る気は萎えて来る、路はもとより人跡絶えているところを大概の「勘」で歩くのであるから、忍耐に忍耐しきれなくなって怖くもなって来・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・其時自分は目を細くして幾度となく若葉の臭を嗅いで、寂しいとも心細いとも名のつけようのない――まあ病人のように弱い気分になった。半生の間の歓しいや哀しいが胸の中に浮んで来た。あの長い漂泊の苦痛を考えると、よく自分のようなものが斯うして今日まで・・・ 島崎藤村 「朝飯」
・・・からだが弱いのである。これは、ほんものの病人である。おどろくほど、美しい顔をしていた。吝嗇である。長兄が、ひとにだまされて、モンテエニュの使ったラケットと称する、へんてつもない古ぼけたラケットを五十円に値切って買って来て、得々としていたとき・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・測られぬ風の力で底無き大洋をあおって地軸と戦う浜の嵐には、人間の弱い事、小さな事が名残もなく露われて、人の心は幽冥の境へ引寄せられ、こんな物も見るのだろうと思うた。 嵐は雨を添えて刻一刻につのる。波音は次第に近くなる。 室へ帰る時、・・・ 寺田寅彦 「嵐」
出典:青空文庫