・・・云わば彼の心もちは強敵との試合を目前に控えた拳闘家の気組みと変りはない。しかしそれよりも忘れられないのはお嬢さんと顔を合せた途端に、何か常識を超越した、莫迦莫迦しいことをしはしないかと云う、妙に病的な不安である。昔、ジァン・リシュパンは通り・・・ 芥川竜之介 「お時儀」
・・・が、不思議にもわたしの命はどんな強敵にも奪われません。死もわたしの顔を見ると、どこかへ逃げ去ってしまうのです。わたしはとうとう苦しさの余り、自殺しようと決心しました。ただ自殺をするにつけても、ただ一目会いたいのは可愛がって下すった御主人です・・・ 芥川竜之介 「白」
・・・に化す 一牀繍被籠鴛を尚ふ 庚申山下無情の土 佳人未死の魂を埋却す 犬江親兵衛多年剣を学んで霊場に在り 怪力真に成る鼎扛ぐべし 鳴鏑雲を穿つて咆虎斃る 快刀浪を截つて毒竜降る 出山赤手強敵を擒にし 擁節の青年大邦に使ひす 八・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・というのであったかいまは忘れたが、お前は何歳で獅子に救われ、何歳で強敵に逢い、何歳で乞食になり、などという予言を受けて、ちっともそれを信じなかったけれども、果してその予言のとおりになって行く男の生涯を描写した童話は、たいへん気にいって二、三・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・網というものは上着以上にどうにもしようのない動物の強敵であるらしい。全く運命の網である。天網という言葉は実にうまい言葉を考えついたものである。押し破ろうとして一方を押せば、押したほうは引っ込んで反対側が自分をしめつける。 大蛇が箱から逃・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・そのかけにも老主人が勝ってそうしてすまして相手の銭をさらって、さて悠々と強敵と手詰めの談判に出かけるところにはちょっとした「俳諧」があるように思われた。 最後に、勲功によって授爵される場面で、尊貴の膝下にひざまずいて引き下がって来てから・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・命取りの強敵はもう深く体内に侵入しているがそんなことは熊にはわからない。またあわてて駆け出す。わけはわからないが本能的に敵から遠ざかるような方向に駆け出すのである。右の腰部からまっ黒な血がどくどく流れ出して氷盤の上を染める。映画では黒いだけ・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・これと同じように平生地震というものの災害を調べているものの目から見ると、この恐るべき強敵に対する国防のあまりに手薄すぎるのが心配にならないわけには行かない。戦争のほうは会議でいくらか延期されるかもしれないが、地震とは相談ができない。 大・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・砲煙弾雨の中に身命を賭して敵の陣営に突撃するのもたしかに貴い日本魂であるが、○国や△国よりも強い天然の強敵に対して平生から国民一致協力して適当な科学的対策を講ずるのもまた現代にふさわしい大和魂の進化の一相として期待してしかるべきことではない・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
・・・ 私は毛虫にこういう強敵のある事は全く知らなかったので、この目前の出来事からかなり強い印象を受けた。そして今更のように自然界に行われている「調節」の複雑で巧妙な事を考えさせられた。そして気紛れに箸の先で毛虫をとったりしている自分の愚かさ・・・ 寺田寅彦 「蜂が団子をこしらえる話」
出典:青空文庫