・・・日本もはや明治となって四十何年、維新の立者多くは墓になり、当年の書生青二才も、福々しい元老もしくは分別臭い中老になった。彼らは老いた。日本も成長した。子供でない、大分大人になった。明治の初年に狂気のごとく駈足で来た日本も、いつの間にか足もと・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・世の文学雑誌を見るも遊里を描いた小説にして、当年の傑作に匹疇すべきものは全くその跡を断つに至った。 遊里の光景と風俗とは、明治四十二、三年以後にあっては最早やその時代の作家をして創作の感興を催さしむるには適しなくなったのである。何が故に・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・得ずとて、専ら其一方の教に力を籠めて自から封建社会の秩序に適合せしめ、又間接に其秩序を幇助せしめたるが如き、一種特別なる時勢の中に居て立案執筆したる女大学なれば、其所論今日より見ればこそ奇怪なれども、当年に在ては決して怪しむに足らず。弓矢鎗・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・長十郎はまた忠利の足を戴いた。「いかんいかん」顔をそむけたままで言った。 列座の者の中から、「弱輩の身をもって推参じゃ、控えたらよかろう」と言ったものがある。長十郎は当年十七歳である。「どうぞ」咽につかえたような声で言って、長十・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・然るに天保四年癸巳の歳十二月二十六日の卯の刻過の事である。当年五十五歳になる、大金奉行山本三右衛門と云う老人が、唯一人すわっている。ゆうべ一しょに泊る筈の小金奉行が病気引をしたので、寂しい夜寒を一人で凌いだのである。傍には骨の太い、がっしり・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・ 次に長女いちが調べられた。当年十六歳にしては、少し幼く見える、痩肉の小娘である。しかしこれはちとの臆する気色もなしに、一部始終の陳述をした。祖母の話を物陰から聞いた事、夜になって床に入ってから、出願を思い立った事、妹まつに打ち明けて勧・・・ 森鴎外 「最後の一句」
出典:青空文庫