・・・彼女の筆致はまだ粗く、人間像の内面へまで深く迫った形象化に不足する場合もある。しかし現実生活に根をおろして、階級的作家としての成長がつづけられるならば、この作家の力量はやがて少くない成果をもたらすであろう。 一九三九年ごろの軍需インフレ・・・ 宮本百合子 「婦人作家」
・・・作品に形象化された現実が人をうつのは、それが只実際そうであったというとおりに書き連ねられたからではないところに芸術の面白さがあると私は思う。我々がどちらかといえば粗忽に見すごして生きている社会の現実が、その錯綜と矛盾との生々した姿の本質にま・・・ 宮本百合子 「二つの場合」
・・・批判の精神の無私な努力だけが、世紀の諸相の示している歴史の制約と各自が属している社会層の限界との間にある相互的な矛盾や対立を自身のものとして作家に自省せしめるものであるし、文学作品そのものの形象的な統一のあらわれのうちにその矛盾や対立を克服・・・ 宮本百合子 「文学精神と批判精神」
・・・題を捕えないのは、一つには目前に在るものの美しさに徹するということが、十分彼らの心情を充たすに足る大事業であるためであり、二つには目前の自然をさえ十分にコナし得ないものが、歴史的な、あるいは超自然的な形象を描き得るはずもないからである。また・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
・・・主として画題選択の斬新であるが、時には珍しい形象の取り合わせ、あるいは人の意表にいづるごとき新しい図取りを試みる。しかしこれらの画家を動かしているものは、岡倉覚三氏の時代の自然観、芸術観であって、その手腕の自由巧妙なるにかかわらず、我らの心・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
・・・しかも蓮の花以外の形象をことごとく取り除いて、純粋にただ蓮の花のみの世界として見せられたのである。これは、それまでの経験からだけではとうてい想像のできない光景であった。私は全く驚嘆の情に捕えられてしまった。 が、この時の驚嘆の情は、ただ・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
・・・が、この素焼きの円筒の中には、上部をいろいろな形象に変化させたものがある。その形象は人間生活において重要な意味を持っているもの、また人々が日ごろ馴れ親しんでいるものを現わしている。家とか道具とか家畜とか家禽とか、特に男女の人物とかがそれであ・・・ 和辻哲郎 「人物埴輪の眼」
一 我々は創作者として活らく時、その創作の心理を観察するだけの余裕を持たない。我々はただ創作衝動を感ずる。内心に萌え出たある形象が漸次醗酵し成長して行くことを感ずる。そうして我々はハッキリつかみ、明確に表現しようと努力する。そこ・・・ 和辻哲郎 「創作の心理について」
・・・ちょうど水墨画の溌剌とした筆触が描かれる形象の要求する線ではなくして、むしろ形象の自然性を否定するところに生じて来るごとく、能面の生動もまた自然的な生の表情を否定するところに生じてくるのである。 そこで我々は能面のこの作り方が、色彩と形・・・ 和辻哲郎 「能面の様式」
・・・はただ人形使いの運動においてのみ形成される形なのであって、静止し凝固した形象なのではない。従って彫刻とは最も縁遠いものである。 たぶんこの事を指摘するためであったろうと思われるが、桐竹紋十郎氏は「狐」を持ち出して、それが使い方一つで犬に・・・ 和辻哲郎 「文楽座の人形芝居」
出典:青空文庫