・・・で、おれはその後その娘を思っているというのではないが、何年後になっても折節は思い出すことがあるにつけて、その往昔娘を思っていた念の深さを初めて知って、ああこんなにまで思い込んでいたものがよくあの時に無分別をもしなかったことだと悦こんでみたり・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・古い城址の周囲だけに、二人が添うて行く石垣の上の桑畠も往昔は厳しい屋敷のあったという跡だ。鉄道のために種々に変えられた、砂や石の盛り上った地勢が二人の眼にあった。 馬に乗った医者が二人に挨拶して通った。土地に残った旧士族の一人だ。 ・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・を超越仕り真に朋友としての交誼を親密ならしめ、しかも起居の礼を失わず談話の節を紊さず、質素を旨とし驕奢を排し、飲食もまた度に適して主客共に清雅の和楽を尽すものは、じつに茶道に如くはなかるべしと被存候。往昔、兵馬倥※武門勇を競い、風流まったく・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・大陸移動説を唱えたウェーゲナーは、この事実をもってヨーロッパと北米大陸とが往昔連結していたという自説の証拠の一つとしてこれを引用しているくらいである。それはとにかく、あの運動遅鈍なみみずでさえ、同じ種族と考えられるものが、「現時の大洋」を越・・・ 寺田寅彦 「比較言語学における統計的研究法の可能性について」
・・・慈遍は神代在今、莫謂往昔とも云う。日本精神の真髄は、何処までも超越的なるものが内在的、内在的なるものが超越的と云うことにあるのである。八紘為宇の世界的世界形成の原理は内に於て君臣一体、万民翼賛の原理である。我国体を家族的国家と云っても、単に・・・ 西田幾多郎 「世界新秩序の原理」
出典:青空文庫