・・・単なる好奇心が少しぐらつきだして、後戻りしてその子供のために扉をしめる手伝いをしてやろうかとふと思ってみたが、あすこまで行くうちには牛乳瓶がもうごろごろと転げ出しているだろう。その音を聞きつけて、往来の子供たちはもとより、向こう三軒両隣の窓・・・ 有島武郎 「卑怯者」
・・・およそ一町あまりにして途窮まりて後戻りし、一度旧の処に至りてまた右に進めば、幅二尺ばかりなる梯子あり。このあたり窟の内闊くしてかえって物すさまじ。梯の子十五、六ばかりを踏みて上れば、三十三天、夜摩天、兜率天、とうりてんなどいうあり、天人石あ・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・ 市が拡張されて東京は再び三百年前の姿に後戻りをした。東京市何区何町の真中に尾花が戦ぎ百舌が鳴き、狐や狸が散歩する事になったのは愉快である。これで札幌の町の十何条二十何丁の長閑さを羨まなくてもすむことになったわけである。・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・如何なる場合にも後戻りをすることなく前へ前へと走っている。 教育及び文芸とても、自然主義に弊害があるからとて、昔には戻らぬ。もし戻ってもそれは全く新なる形式内容を有するもので、浅薄なる観察者には昔時に戻りたる感じを起させるけれども、実は・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・ そこで職業上における己のため人のためと云う事は以上のように御記憶を願っておいて、話がまた後戻りをする恐れがあるかも知れないが、前申した通り人文発達の順序として職業が大変割れて細かくなると妙な結果を我々に与えるものだからその結果を一口御・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・ そこでペンネンネンネンネン・ネネムは又うやうやしく世界長に礼をして、後戻りして退きました。三十人の部下はもう世界長の首尾がいいので大喜びです。 ペンネンネンネンネン・ネネムも大機嫌でそれから町を巡視しはじめました。 ばけもの世・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・ 私の体は七日の夜から二三日又一寸後戻りをして熱は出ませんが食事がちゃんとゆかず、まだブラブラです。自分の思っていたより疲れていたと見えます。しかし、もうこの順で段々よくなりますからどうぞ御安心下さい。ことしはあなたにもなかなか大変な夏・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 所々崩れ落ちて居る畔路を、ときどき踏みそこなって、ころがりそうになったり、大狼狽な羽ばたきをしたりして、先へ先へと歩いて行った雌鴨は、フト何か見つけたらしく小馳りに後戻りして来て、あわただしくクワッ、クワッと叫び立てた。「オヤ・・・ 宮本百合子 「一条の繩」
出典:青空文庫