・・・姑にいびられた嫁が後日自分で姑の地位に立った場合には綺麗に昔の行届かなかった自分を忘れてしまうように、自分が審査員になる頃にはたちまち全能の神のような心持になる、ということも全然この世にないとは限らない。これは各自の反省すべき点であろう。可・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・ コマ型、タラ型、フジ・クジウ型、ユワウ型についても同様なことが言われるのであるが、これらは後日さらに詳しく考えてみたいと思う。今回は紙数の制限もあるので以上の予備的概論にとどめ、ただ多少の見込みのありそうな一つの道を暗示するだけの意味・・・ 寺田寅彦 「火山の名について」
・・・それはとにかく、後日理化学を修めるようになってから私の興味はやはり自然に地震現象の研究という方に向かって行った。そうして自分でその後この現象の研究を手がけるようになってからは、もう恐怖の感じは全く忘れたようになくなってしまった。もちろん烈震・・・ 寺田寅彦 「家庭の人へ」
・・・これが後日わたくしをして柳浪先生の門に遊ばしめた原因である。しかしその後幾星霜を経て、大正六、七年の頃、わたくしは明治時代の小説を批評しようと思って硯友社作家の諸作を通覧して見たことがあったが、その時分の感想では露伴先生の『らんげんちょうご・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
上 先生は約の如く横浜総領事を通じてケリー・エンド・ウォルシから自著の『日本歴史』を余に送るべく取り計われたと見えて、約七百頁の重い書物がその後日ならずして余の手に落ちた。ただしそれは第一巻であった。そ・・・ 夏目漱石 「マードック先生の『日本歴史』」
・・・日没後日出前なれば彼の家具を運び出しても差配は指を啣えて見物しておらねばならぬと云う事を承知している。それだから朝の三時頃から大八車を※って来て一晩寝ずにかかって自分の荷を新宅へ運んだのである。彼はすこぶる尨大なるシマリのない顔をしている。・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・一、維新の頃より今日に至るまで、諸藩の有様は現に今人の目撃するところにして、これを記すはほとんど無益なるに似たれども、光陰矢のごとく、今より五十年を過ぎ、顧て明治前後日本の藩情如何を詮索せんと欲するも、茫乎としてこれを求るに難きものある・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・前日の事、すでにすでにかくの如し、後日の事、またまさにかくの如くなるべければ、我が党の士、自から阿らず、自から曲げず、己に誇ることなく、人を卑むことなく、夙夜業を勉めて、天の我にあたうるところのものを慢にすることなくんば、あにただ社中の慶の・・・ 福沢諭吉 「中元祝酒の記」
・・・婦女の身としてひそかに見舞うのは、よしや後日に発覚したとて申しわけの立たぬことでもあるまいという考えで、見舞いにはやったのである。女房は夫の詞を聞いて、喜んで心尽くしの品を取り揃えて、夜ふけて隣へおとずれた。これもなかなか気丈な女で、もし後・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・謙介は成長してから父に似た異相の男になったが、後日安東益斎と名のって、東金、千葉の二箇所で医業をして、かたわら漢学を教えているうちに、持ち前の肝積のために、千葉で自殺した。年は二十八であった。墓は千葉町大日寺にある。 浦賀へ米艦が来・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫