・・・この仕事に組織されたのは関山の中学や小学校の後輩二〇名だそうです。新聞記事は、これらの人びとを同志とかいています。いわゆる五・一五事件当時から山岸敬明と妻君のあや子という人の間には、新聞口調でいえば、灼熱のロマンスがひめられていたそうです。・・・ 宮本百合子 「ファシズムは生きている」
・・・特に、それぞれの外国語で権威といわれる立場にいて後輩をもち、学閥をもっていた人々にとって。日本の社会は封鎖されていて、外国語は特権階級の教養であった。したがって、外国文学または外国語で働く人は作家とはまたちがう一種の特別なものとしての自覚を・・・ 宮本百合子 「文化生産者としての自覚」
・・・M氏程まだ充分イギリスを内臓へ吸収せぬ後輩、あるいははるばる官費で英国視察に来た連中が時間と語学の不足から彼のもとへ駈け込み、集約英国観察供給方を依頼する。 時に例えば某学校長のような訪問客さえある。校長君の意見によると英国を英国たらし・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
・・・ 暫くして畑の後輩で、やはり幹事に当っている男が、我々を余興の席へ案内した。宴会のプログラムの最初に置かれたものを余興と称しても、今は誰も怪まぬようになっているのである。 余興の席は廊下伝いに往く別室であった。正面には秋水が著座して・・・ 森鴎外 「余興」
出典:青空文庫