・・・なんだか独立な自分というものは微塵に崩壊してしまって、ただ無数の過去の精霊が五体の細胞と血球の中にうごめいているという事になりそうであった。 この第三号の自画像はまずどうにか、こうにか仕上げてしまった。ほんとうの意味ではいつまでかかって・・・ 寺田寅彦 「自画像」
昔ギリシアの哲学者ルクレチウスは窓からさしこむ日光の中に踊る塵埃を見て、分子説の元祖になったと伝えられている。このような微塵は通例有機質の繊維や鉱物質の土砂の破片から成り立っている。比重は無論空気に比べて著しく大きいが、そ・・・ 寺田寅彦 「塵埃と光」
・・・万一にも大都市の水道貯水池の堤防でも決壊すれば市民がたちまち日々の飲用水に困るばかりでなく、氾濫する大量の流水の勢力は少なくも数村を微塵になぎ倒し、多数の犠牲者を出すであろう。水電の堰堤が破れても同様な犠牲を生じるばかりか、都市は暗やみにな・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
・・・眼に遮るものは微塵もない。カーライルは自分の経営でこの室を作った。作ってこれを書斎とした。書斎としてここに立籠った。立籠って見て始めてわが計画の非なる事を悟った。夏は暑くておりにくく、冬は寒くておりにくい。案内者は朗読的にここまで述べて余を・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・ 今の人から見れば、完全かも知れないが実際あるかないか分らない理想的人物を描いて、それらの偶像に向って瞬間の絶間なく努力し感激し、発憤し、また随喜し渇仰して、そうして社会からは徳義上の弱点に対して微塵の容赦もなく厳重に取扱われて、よく人・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・吾等の心象中微塵ばかりも善の痕跡を発見することができない。この世界に行わるる吾等の善なるものは畢竟根のない木である。吾等の感ずる正義なるものは結局自分に気持がいいというだけの事である。これは斯うでなければいけないとかこれは斯うなればよろしい・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・そして、大森氏によって指摘されているこの一種の現実歪曲の根源はと見れば、それは微妙にも当の大森氏が立派な思想は生活とはなれていてもそれとして人々を益すると云っている、微塵悪意のない、だがそこから実際には沢山の抽象論、機械的解釈を発生させる罅・・・ 宮本百合子 「落ちたままのネジ」
・・・ それらの若い女の人たちはもちろん微塵の悪意もないのです。これまでの家庭生活が若い女に加えている窮屈な常套をはねのけて、生活的によりひろい社会との接触の中に生きたいという欲望から、また、仕事そのものに興味があるということから、無邪気にこ・・・ 宮本百合子 「現実の道」
・・・そういう人生の最も耀いた、強烈な経験を経て、私は自分が愛する者たちに対して持って来た愛し方が微塵遺憾な点のないことに、深いよろこびと確信とを新しくしました。私が一番いい方法で丈夫になるための努力をすることを信じて御安心下さい。そして、一層磨・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・こういう弱みのある長十郎ではあるが、死を怖れる念は微塵もない。それだからどうぞ殿様に殉死を許して戴こうという願望は、何物の障礙をもこうむらずにこの男の意志の全幅を領していたのである。 しばらくして長十郎は両手で持っている殿様の足に力がは・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫