・・・それにもかかわらず、先生が十年の歳月と、十年の精力と、同じく十年の忍耐を傾け尽して、悉くこれをこの一書の中に注ぎ込んだ過去の苦心談は、先生の愛弟子山県五十雄君から精しく聞いて知っている。先生は稿を起すに当って、殆んどあらゆる国語で出版された・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・之を喩えば人を密室に幽囚し、火を撮ませ熱湯を呑ませて、苦し熱しと一声すれば、則ち之を叱して忍耐に乏しき敗徳なりと言うに異ならず。知るや知らずや、其不平は人を謗るにも非ず、物妬むにも非ず、唯是れ婦人自身の権利を護らんとするの一心のみ。其心中の・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・政談の一方に向うて、いやしくも政を語る者は他の尊敬を蒙り、またしたがって衣食の道にも近くして、身を起すに容易なるその最中に、自家の学問社会をかえりみれば、生計得べきの路なきのみならず、蛍雪幾年の辛苦を忍耐するも、学者なりとして敬愛する人さえ・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・如何となれば、書生の勉強、僧侶の眠食は身体の苦痛にして、寡慾、正直、深切の如きは精神の忍耐、即ち一方よりいえばその苦痛なればなり。 されば私徳を大切にするその中についても、両性の交際を厳にして徹頭徹尾潔清の節を守り、俯仰天地に愧ずること・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・これらの婦人作家は、みな少女時代から辛苦の多い勤労の生活をして来て、やがて妻となり母となり、本当に女として生きてゆく希望、よろこび、その涙と忍耐とを文学作品に表現しようとして来た人々なのである。 戦争の永い間、私たちは声を奪われ、文字を・・・ 宮本百合子 「明日咲く花」
・・・前線へもゆきたがる作家を、陸軍の従軍報道班の人々は忍耐をもって、適当に案内し、見聞させ「戦争がその姿をあらわして来た」と亢奮をも味わせている。軍人は戦い、そして勝たなければならないという明瞭な目的によって貫かれている。居留民はそこにおける地・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
・・・互の忍耐もいり、我ままを愛の表現と思わない決心がいる――「スタイル」の愛の技巧とは全くちがった聰明がいります。 若い一組がうまくゆかないということは、やっぱり男の人に、女は家にいる方がいいという便宜的な必要が強く影響するからの結果もある・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・少なからぬ困難が予想されるが、私は読者の忍耐と誠意と自身の熱意とに信頼して、この仕事をやって見る。この人生に明らかな知性と豊かで健全な人間的情熱の発動を熱望する一人の作家が、今日の現実を見る勉強としてやって見るつもりである。日本文学史全巻を・・・ 宮本百合子 「意味深き今日の日本文学の相貌を」
・・・しかしもし商人が資本をおろし財利を謀るように、お佐代さんが労苦と忍耐とを夫に提供して、まだ報酬を得ぬうちに亡くなったのだと言うなら、わたくしは不敏にしてそれに同意することが出来ない。 お佐代さんは必ずや未来に何物をか望んでいただろう。そ・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・岩壁に突き当たって跳ね返えされる痛苦を、歯を食いしばって忍耐する勇気である。我々の血は小さい心臓の内に沸き返っている。我々の筋肉は痛苦の刺激によって緊張を増す。この昇騰の努力を表現しようとする情熱こそは、我々が人類に対する愛の最も大きい仕事・・・ 和辻哲郎 「創作の心理について」
出典:青空文庫