・・・凡ソ人間ノ快楽ヤ浴酔睡ノ三字ニ如クハ無シ。一楼ニシテ三快ヲ鬻グ者ハ亦新繁昌中ノ一洗旧湯ナリ。」と言っている。 小説家春の家おぼろの当世書生気質第十四回には明治十八九年頃の大学生が矢場女を携えて、本郷駒込の草津温泉に浴せんとする時の光景が・・・ 永井荷風 「上野」
・・・いやな男への屈従からは忽ち間夫という秘密の快楽を覚えた。多くの人の玩弄物になると同時に、多くの人を弄んで、浮きつ沈みつ定めなき不徳と淫蕩の生涯の、その果がこの河添いの妾宅に余生を送る事になったのである。深川の湿地に生れて吉原の水に育ったので・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・いやしくも道楽である間は自分に勝手な仕事を自分の適宜な分量でやるのだから面白いに違ないが、その道楽が職業と変化する刹那に今まで自己にあった権威が突然他人の手に移るから快楽がたちまち苦痛になるのはやむをえない。打ち明けた御話が己のためにすれば・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・この四ヶ条の仕事をよくして十分に快楽を覚ゆるは論を俟たずといえども、今また別に求むべきの快楽あり。その快楽とは何ぞや。月見なり、花見なり、音楽舞踏なり、そのほか総て世の中の妨げとならざる娯しみ事は、いずれも皆心身の活力を引立つるために甚だ緊・・・ 福沢諭吉 「家庭習慣の教えを論ず」
・・・然らばすなわちこの麁葉は、最初に美を呈したるに非ず、ただ我が当時の口にてこれを美と称し快楽と思いしのみ。すなわち人生の働の一ヵ条たる喫煙も、その力よく発達すれば、わずかに数日の間に苦楽の趣を異にするの事実を見るべし。 ゆえに天下泰平・家・・・ 福沢諭吉 「教育の目的」
・・・この盃の冷たい縁には幾度か快楽の唇が夢現の境に触れた事であろう。この古い琴の音色には幾度か人の胸に密やかな漣が起った事であろう。この道具のどれかが己をそういう目に遇わせてくれたなら、どんなにか有難く思ったろうに。この木彫や金彫の様々な図は、・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・この快楽を菜食ならば著しく減ずると思う。殊に愉快に食べたものならば実際消化もいいのだ。これをビジテリアン諸氏はどうお考であるか伺いたい。」 大へん温和しい論旨でしたので私たちは実際本気に拍手しました。すると私たちの席から三人ばかり祭司次・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・其の機械として対手を見、その快楽から、人格的価値抜きに対手を抱擁する事は愧ずべき事だ。 人が、陥り易い多くの盲目と、忘我とを地獄の門として居る為に、性慾が如何に恐るべき謹むべきものであるかと云うことは、昔の賢者の云った通りである。 ・・・ 宮本百合子 「黄銅時代の為」
・・・刹那の快楽にも溺れやすい。そして、それらの平安や快楽は、常に人間の官能の面に触れたものである。理性をしびらせ、ストリップ・ショウについて獅子文六が書いているとおり、何も彼にも忘れさせる、そのようなデカダンスが、社会にはびこる。そのような雰囲・・・ 宮本百合子 「戦争はわたしたちからすべてを奪う」
・・・その尽きざる快楽の欣求を秘めた肺腑を持って咲くであろう。四騎手は血に濡れた武器を隠して笑うであろう。しかし我々は、彼らの手からその武器を奪う大いなる酒神の姿を何処で見たか。再び、彼らはその平和の殿堂で、その胎んだ醜き伝統の種子のために開戦す・・・ 横光利一 「黙示のページ」
出典:青空文庫