・・・いた末が、一人で土地を逃げるという了見になりました、忘れもいたしません、六月十五日の夜、七日の晩から七日目の晩でございます、お幸に一目逢いたいという未練は山々でしたが、ここが大事の場合だと、母の法名を念仏のように唱えまして、暗に乗じて山里を・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・実際それらの教団の中には理論のための理論をもてあそぶソフィスト的学生もあれば、論争が直ちに闘争となるような暴力団体もあり、禅宗のように不立文字を標榜して教学を撥無するものもあれば、念仏の直入を力調して戒行をかえりみないものもあった。 世・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ただそれに即して直ちに念仏のこころがあればいいのである。浄土真宗の信仰などはそれを主眼とするのである、信仰というものをただ上品な、よそ行きのものと思ってはならない。お寺の中で仏像を拝むことと考えては違う。念仏の心が裏打ちしていれば、自由競争・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・ 源作の嚊の、おきのは、隣家へ風呂を貰いに行ったり、念仏に参ったりすると、「お前とこの、子供は、まあ、中学校へやるんじゃないかいな。銭が仰山あるせになんぼでも入れたらえいわいな。ひゝゝゝ。」と、他の内儀達に皮肉られた。 ・・・ 黒島伝治 「電報」
・・・とある家にて百万遍の念仏会を催し、爺嫗打交りて大なる珠数を繰りながら名号唱えたる、特に声さえ沸ゆるかと聞えたり。 上野に着きて少時待つほどに二時となりて汽車は走り出でぬ。熱し熱しと人もいい我も喞つ。鴻巣上尾あたりは、暑気に倦めるあまりの・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・ とお念仏みたいな節で低く繰りかえし繰りかえし唄い、そうして、ほとんど眠りかけている様子に見えました。 僕は、いまいましいやら、不安なやら、悲しいやら、外套のポケットから吸いかけの煙草をさぐり出し、寒さにかじかんだれいの問題の細長い・・・ 太宰治 「女類」
・・・ ――ぼんずの念仏、雨、降った。 ――もくらもっけの泣けべっちょ。 ――西くもて、雨ふった。雨ふって、雪とけた。 そのときにし、よろずよやのタキは、きずきずと叫びあげたとせえ。 ――マロサマの愛ごこや。わのこころこ知らず・・・ 太宰治 「雀こ」
・・・つね日頃より貴族の出を誇れる傲縦のマダム、かの女の情夫のあられもない、一路物慾、マダムの丸い顔、望見するより早く、お金くれえ、お金くれえ、と一語は高く、一語は低く、日毎夜毎のお念仏。おのれの愛情の深さのほどに、多少、自負もっていたのが、破滅・・・ 太宰治 「創生記」
・・・でございましたが、実際に見学してみますると、どうしてなかなか勢力のあるもので、ほとんどもう貴婦人みたいにわがままに振舞い、私は呶鳴られはせぬかとその夜は薄氷を踏むが如く言語動作をつつしみ、心しずかにお念仏など申し生きた心地もございませんでし・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・ともすると鎌首もたげようとする私の不眠の悲鳴を叩き伏せ、叩き伏せ、お念仏一ついまは申さず、歯を食いしばって小説の筋を考え、そうして、もっぱら睡眠の到来を期待しているのである。それは、なかなかの苦しさであった。謂わば、私は、眠りと格闘していた・・・ 太宰治 「春の盗賊」
出典:青空文庫