・・・ 妻は僕の怒鳴るよりも前にもう袂に顔を隠し、ぶるぶる肩を震わせていた。「何と言う莫迦だ! それじゃ死んだって死に切れるものか。」 僕はじっとしてはいられない気になり、あとも見ずに書斎へはいって行った。すると書斎の鴨居の上に鳶口が・・・ 芥川竜之介 「死後」
・・・雲の内侍と呼ぶ、雨しょぼを踊れ、と怒鳴る。水の輪の拡がり、嵐の狂うごとく、聞くも堪えない讒謗罵詈は雷のごとく哄と沸く。 鎌倉殿は、船中において嚇怒した。愛寵せる女優のために群集の無礼を憤ったのかと思うと、――そうではない。この、好色の豪・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・冷やし飴一杯も飲まずに、家へ帰ると庄之助は昂奮した声で、怒鳴るように言った。「さア寿子、稽古だ!」三 乾いた雑巾から血を絞り取るような苦しい稽古が、その日から繰りかえされた。 学校から帰ると、寿子はもう父の手につかま・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・と近藤が怒鳴るように言った。その最後の一句で又た皆がどっと笑った。「それで二人は」と岡本が平気で語りだしたので漸々静まった。「二人は将来の生活地を北海道と決めていまして、相談も漸く熟したので僕は一先故郷に帰り、親族に托してあった山林・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・まして品行の噂でも為て、忠告がましいことでも言おうものなら、母は何と言って怒鳴るかも知れない。妻が自分を止めたも無理でない。「学校の先生なんテ、私は大嫌いサ、ぐずぐずして眼ばかりパチつかしているところは蚊を捕え損なった疣蛙みたようだ」と・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・「どうしてか知らんが今度東京から帰って来てからというものは、毎日酒ばかり呑んでいて、今まで御嬢様にはあんなに優しかった老先生がこの二三日はちょっとしたことにも大きな声をして怒鳴るようにならしゃっただ、私も手の着けようがないので困っていた・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・』と怒鳴る声がした。自分はすぐ、『来たな!』と思った。 果たしてかれであった。『どうだその後は?』これがかれの開口第一のあいさつであった。自分が慇懃にあいさつする言葉を打ち消して、『いやそうあらたまれては困る。』かれは酒気を帯びてい・・・ 国木田独歩 「まぼろし」
・・・と甲高い声で怒鳴るのでした。あの優しいお方が、こんな酔っぱらいのような、つまらぬ乱暴を働くとは、どうしても少し気がふれているとしか、私には思われませんでした。傍の人もみな驚いて、これはどうしたことですか、とあの人に訊ねると、あの人の息せき切・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・という意味の言葉を繰返している。その間にも断えず皆が卓の下で次々に品物を渡しているような真似をしている、その人の環のどこかを実際に品物が移動しているのである。船長がいきなり「ノーフラージュ」と怒鳴ると、移動がぴたりと止まるのである。自分も一・・・ 寺田寅彦 「追憶の冬夜」
・・・それからまた、こんにゃはァ、と怒鳴るのだが、そんなとき、どっかから、「――こんにゃくやさーん」 と、呼ぶ声がきこえたときの嬉れしさったら、まるでボーッと顔がほてるくらいだ。 五つか六つ売れると、水もそれだけ減らしていいから、ウン・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
出典:青空文庫