・・・――そう思うと、今まではただ、さびしいだけだったのが、急に、怖いのも手伝って、何だか片時もこうしては、いられないような気になりました。何さま、悪く放免の手にでもかかろうものなら、どんな目に遭うかも知れませぬ。「そこで、逃げ場をさがす気で・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・あたしもゆうべは怖い夢を見た。……」「どんな夢を?――このタイはもう今年ぎりだね。」「何か大へんな間違いをしてね、――何をしたのだかわからないのよ。何か大へんな間違いをして汽車の線路へとびこんだ夢なの。そこへ汽車が来たものだから、―・・・ 芥川竜之介 「たね子の憂鬱」
・・・私たちはまるで夢の中で怖い奴に追いかけられている時のような気がしました。 後から押寄せて来る波は私たちが浅い所まで行くのを待っていてはくれません。見る見る大きく近くなって来て、そのてっぺんにはちらりちらりと白い泡がくだけ始めました。Mは・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・「やれ怖い事するでねえ、傷ましいまあ」 すすぎ物をしていた妻は、振返ってこの様を見ると、恐ろしい眼付きをしておびえるように立上りながらこういった。「黙れってば。物いうと汝れもたたき殺されっぞ」 仁右衛門は殺人者が生き残った者・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・、来い来い、何も可怖いことはない。 シュッチュカは行っても好いと思った。そこで尻尾を振って居たが、いよいよ行くというまでに決心がつかなかった。百姓は掌で自分の膝を叩いて、また呼んだ。「来いといったら来い。シュッチュカ奴。馬鹿な奴だ。己れ・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・と、いうと、腰を上げざまに襖を一枚、直ぐに縁側へ辷って出ると、呼吸を凝して二人ばかり居た、恐いもの見たさの徒、ばたり、ソッと退く気勢。「や。」という番頭の声に連れて、足も裾も巴に入乱るるかのごとく、廊下を彼方へ、隔ってまた跫音、次第に跫・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・ と口の裡、呼吸を引くように、胸の浪立った娘の手が、謹三の袂に縋って、「可恐い……」「…………」「どうしましょうねえ。」 と引いて縋る、柔い細い手を、謹三は思わず、しかと取った。 ――いかになるべき人たちぞ…大正・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・敵塁の速射砲を発するぽとぽと、ぽとぽとと云う響きが聴えたのは、如何にも怖いものや。再び立ちあがった時、僕はやられた。十四箇所の貫通創を受けた。『軍曹どの、やられました!』『砲弾か小銃弾か?』『穴は大きい』『じゃア、後方にさが・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・』と、おじいさんは、花火を造っている小舎から出て、屋根の見える町まで少女を送ってくれました。 おうちへ帰ると、お母さんが、『あれほど、あぶないから、花火小舎へいってはいけないといったのに。』と怖い顔をしてしかりましたので、少女は泣き・・・ 小川未明 「黒いちょうとお母さん」
・・・ 浜子は世帯持ちは下手ではなかったが、買物好きの昔の癖は抜けきれず、おまけに継子の私が戻ってみれば、明日からの近所の思惑も慮っておかねばならないし、頼みもせぬのに世話を焼きたがるおきみ婆さんの口も怖いと、生みの母親もかなわぬ気のよさを見・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
出典:青空文庫