・・・もう一度聖像に祈祷を捧げた。「御心ならば、主よ、アグネスをも召し給え」 クララは軽くアグネスの額に接吻した。もう思い残す事はなかった。 ためらう事なくクララは部屋を出て、父母の寝室の前の板床に熱い接吻を残すと、戸を開けてバルコン・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・もうたくさんだ。もう思い残すこともないんだ」と、善吉は猪口を出す手が戦えて、眼を含涙している。「どうなすッたんですよ。今日ッきりだとか、今日が別れだとか、そんないやなことをお言いなさらないで、末長く来て下さいよ。ね、善さん」「え、何・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・一つ罌粟の実になって、私の掌に乗ってもらえたら思い残すところはありません」 天狗は馬鹿にしきった顔で、「ヨシ来た。俺は何んにでもなってやる」と小ッちゃい罌粟粒になって百姓の掌に乗った。そこで百姓は自分が人間であったことを喜びなが・・・ 宮本百合子 「ブルジョア作家のファッショ化に就て」
出典:青空文庫