・・・それは思想もなにもないただ荒々しい岩石の重畳する風景だった。しかしそのなかでも最もひどかった咳の苦しみの最中に、いつも自分の頭へ浮かんで来るわけのわからない言葉があったことを吉田は思い出した。それは「ヒルカニヤの虎」という言葉だった。それは・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・すなわちわれは思想なき児童の時と異なり、今は自然を観ることを学びたり。今や人情の幽音悲調に耳を傾けたり。今や落日、大洋、清風、蒼天、人心を一貫して流動する所のものを感得したり。 かるが故にわれは今なお牧場、森林、山岳を愛す、緑地の上、窮・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・ 権利思想の発達しないのは、東洋の婦人の時代遅れの点もあろうが、われわれはアメリカ婦人のようなのが、婦人として本性にかなった正常な姿ではなく、やはり社会の欠陥から生じた変態であって、われわれは早く東洋的な、理想的国家をつくって、東洋婦人・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・彼等の思想や、立場には勿論同感しないが、彼等のペンをとる態度は、僕は、どこまでも、手本として学びたいと心がけている。 愛読した本と、作家は、まだほかに多々あるが紙数の都合でこれだけとする。・・・ 黒島伝治 「愛読した本と作家から」
・・・線サ、此奴が実にむずかしいのだ、メチャメチャに蚯蚓の搦み合たようの奴だ、まだこの外に大変に螺線の類があるのサ、詳くいえば二十八通りの螺線があるよ、尚詳しくいえば四万八千ぐらいあるのだがネ、君が幾何学的思想に富んでいれば直に分るのサ。どうもマ・・・ 幸田露伴 「ねじくり博士」
・・・―気圧を調べるとか、風力を計るとか、雲形を観察するとか、または東京の気象台へ宛てて報告を作るとか、そんな仕事に追われて、月日を送るという境涯でも、あの蛙が旅情をそそるように鳴出す頃になると、妙に寂しい思想を起す。旅だ――五月が自分に教えるの・・・ 島崎藤村 「朝飯」
一 私は今ここに自分の最近両三年にわたった芸術論を総括し、思想に一段落をつけようとするにあたって、これに人生観論を裏づけする必要を感じた。 けれども人生観論とは畢竟何であろう。人生の中枢意義は言うまでもなく実行である。人生観・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・心の中には反抗的な忿懣のような思想が充ちている。よしや誰と連になろうが、その人に何物をも分けてやることは出来ない。ただ一般に苦しい押え付けられているような感じ、職業のないために生じて来たこの感じより外には、人に分けてやるような物を持っていな・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・ これらの點より推さばこの傳説作者は、天地人三才の思想を背景にして、之を創作せるものなるべく、漢人殊に儒教が天子に望む所は公明正大、その間に一點の私を插むなからんことなれば、この理想を堯に托してその禪讓をつくり、人道の理想を舜に、勤勉の・・・ 白鳥庫吉 「『尚書』の高等批評」
・・・ ちっとも秋に関係ない、そんな言葉まで、書かれてあるが、或いはこれも、「季節の思想」といったようなわけのものかも知れない。 その他、 農家。絵本。秋ト兵隊。秋ノ蚕。火事。ケムリ。オ寺。 ごたごた一ぱい書かれてある。・・・ 太宰治 「ア、秋」
出典:青空文庫